STG/I:第百三十七話:クローン

 


 空腹が満ちつつある。
 空腹は寄せては返す波のように繰り返す。
 波は次第に大きくなり耐え難くなる。
 限界に達し尚無視すれば、憑き物が落ちたように平気になる。
 だが、次の波はもっと大きい。
 小さく、大きく波を繰り返し、臨界に達する。
 そこから先は空腹以外の何物も感じなくなる。
 危険な状態だ。

 STGIの空腹はその規模が大きいものだった。
 今、私はSTGIと感覚が共有されている。
 自分の車を操縦している内に感覚が拡張されるように、
 いや、それ以上に、動かすほどに馴染んでいく。
 手足のように、身体のように、染み込んでいく。
 メニューの意味は相変わらず読めないのだが、
 動かしながら体感で理解していった。

 ここのアバターはSTGと違うようだ。
 一種の臓器のような存在。
 中を動くことは出来そうだが、外へ出ることを想定していないようだ。
 出られる感じがしない。
 脳という位置付けでも無いようだ。
 脳にあたる部位は他にある。
 恐らく本船コンピューターだろう。
 自分が巨大な飛行物体になったような感じ。
 STGIが空腹で満ちつつある。

(それにしても遠くないか?)

 STGIなら一瞬で行けると思っていた。
 当然のようにグリンに道案内を頼んだのは不味かっただろうか?
 だが自身はSTG29の位置がわからない。
 恐らく道を知らないからだろう。
 細かい機能は未だに掌握出来ていない。
 バッテリーが低いことは伝えてある。
 既にわかっているようだった。

 万が一グリンが何か勘違いをしていたらそれでアウト。
 深慮すべきだったか。
 彼女は未だよく解らない存在。
 いざとなったらその場で補充しよう。
 STGIで判別出来る。
 あの場ではもう蓄えられるエネルギーは限界だった。
 走りながら考えるしかない。
 私自身が彼女に対して妙な安心感がある。
 何故だ?

(今は彼女を信じるしかないか・・・)

 サイトウさんはSTGIで専用アバターが作れると言っていた。
 彼の説明からすると、クローンというより、分裂という印象だが。

(自分が分裂するってどういう感覚なんだろうか)

 STGのシューニャは恐らくスリープモード。
 STGIの格納庫には私しか入れない。
 彼女が消えると、STGIも消える可能性は高い。
 分裂出来るのであれば、クローンを向かわせたい。
 でも方法が全く解らない。
 足がかりが欲しい。
 ・・・あ、いるか。

「グリン、お前は分体を作るときどうやる?」

 手ごたえの無い反応が返って来る。
 そうだった。
 純粋に言葉だけを発するとほとんど届かない。
 明確な意思のようなものがいる。
 インターフェースの切り替え。
 その感覚を忘れていた。
 自分のものになっていない証拠。
 乗りこなさないと。
 ただでさえ不器用なんだ。

「・・・」

 なるほど、そうか。
 わかった。
 湯葉と言えばいいか、ミルフィーユというか。
 グリンからのイメージはそんなニュアンス。
 積層化している自分をペラっと引っ張り出し、膨らませると言えばいいか。
 そしてシュークリームのように中身を注ぐ。
 そんな感じか・・・。

「えっ!」

 目を閉じたのは一瞬だった。
 目の前に自分が浮いている。
 シューニャの形をした自分。
 しかもココはコックピットじゃない。
 いつの間に!

 あの空間。
 鋼鉄の大地。
 テーブルが一つ。
 椅子が三つ。
 高速に流れる雲。
 今日は青空。
 何処からか下りてきたシューニャは、そのまま力なく足元に横たわった。

「待て、操縦しているのは誰だ?!」

 脳裏にコックピットの自分が見えた。
 目に意思を感じない。
 だが、安心感がある。
 大丈夫だという手応え。

(ホムスビに指示してあるから大丈夫か・・・)

 ココは夢のように実態感が乏しい。
 実態感と夢想感が霧のように満たしている感じ。
 視覚的には現実そのものなのだが、嘘を感じる。
 物理感が判然としないのだ。
 重さや質を感じない。
 でも、触ろうと思えば触れるし、重みもあるようだった。
 なのに手応えが薄く、どこか嘘くささを感じる。

 まるで触ろうとするまでは実体化していないよう。
 数字の羅列のような、どこか別の形に感じる。
 それでいて物質世界と完全に切り離されているわけでも無い。
 例えるなら、仮想メモリの中といった感じ。

(コンピューター上で画いているような・・・)

 データ的には正に存在しているのだが、物理的には存在していない。
 でも実体にも出来る。
 プリントすればいいから。
 でも手書きとは明らかに違う。
 偶発性が無い。
 自然を内包していない。
 だから変化に乏しい。

(それだ!)

 言葉が浮かんだ。
「仏像作って魂入れず」
 設計図、器、意思。
 この三つがバラバラなんだ。
 器はあるけど中身は無い。
 意思というか。
 中身は別の場所にある。
 この三つが揃って完成する。

 ココでは器を自由に作ることも出来るのだろう。
 ただし設計図はいる。
 展開図を設計し、3Dプリント。
 でも、それだけでは単なる器。
 本体がない。
 意思というか、魂というか。

 恐らく今の自分は器の無いホログラムのようなもの。
 設計図と意思だけで存在し、空間に投影している。
 若しくは、この空間に存在する物質を使って密度の薄い実体になっているかも。
 器はSTGI、本拠点、地球にある。
 本体は地球のみ。
 サイトウさんが地球での身バレを極度に恐れたのも関係がありそうだ。
 設計図と製造装置さえあれば器は出来る。
 でも、本体は製造出来ない。
 いや、待てよ。
 ゲームではメインキャラを変えられるよな。
 本体もひょっとしたら変えられるんじゃ・・・。

 少なくともこれで私がオリジナルであるという証明は出来た。
 サイトウさん曰く、オリジナル以外は分裂出来ないようだし。
 万が一にも無いとは思ったけど、良かった。
 そして、寧ろ今実体化しているのは・・・。

「起きろ」

 横になっている自分の肩を揺さぶる。
 実態感がある。
 でも、触った私への反射はダイクレトさに欠ける。
 ビーナスのパルス接触のようなものかもしれない。
 物理的には私は触っていない。
 触ったという判定が数値の羅列として届いているような感じかも。
 質感がわからない場合は曖昧になる。
 実体同士なら即座にわかる。
 使いようによっては色々出来るぞ。

 起きない。

 起きないばかりか、まるで人形だ。
 横たわった静を思い出した。
 この素体には意思が無いんだ。
 文字通り、魂入れず。
 設計図、器はあるけど、意思が無い。
 
 分裂するのは簡単だった。
 基本的に備わっている機能なのだろう。
 待てよ。

 タイムプラスのように高速で動く雲を見て思いついた。
 ちょっとした遊び心。

 時間経過で切り取ったらどうだ。
 アニメーションみたいに。

 そこからは早かった。

 ホップ、ステップ、ジャンプ。
 鋼鉄の大地を走り大きく跳躍。
 頭の中で切り取られた自分。
 振り返ると、アニメーションのように切り取られた自分が残っている。

「これは面白い!」

 空中で固定されている。
 さっきのは落ちてきた。
 共通しているのは意思がない点だ。
 器だけでの存在。
 粘土細工と変わらない。
 物理的存在ではある。
 触ると温かい。
 生命体として物理的には存在しているが、意思が無い。

(放置すれば死ぬ?)

 いや、ココは時間経過が無いかもしれない。
 今の繰り返しだから意思が無くても死なないのでは。

(となると、意思の分裂はどうやる?)

 オンラインゲームの要領でいいか。
 複アカを動かすように。
 コントローラーを複数用意して接続する感じ。
 待てよ、そもそも分裂した後はどう戻す?

「食べるんじゃあるまいな・・・」

 思い返すとグリンはそうしていたように思う。
 他に方法は無いのだろうか?
 例えば・・・水滴はどうだ?
 水滴同士が近づいて大きくなるように。
 頭で描き、近づいて、手を伸ばした。
“すいーっ” と、自分の中に吸い込まれる。

「気持ち悪っ! 人間掃除機かよ!」

 認識し理解すれば早い。
 シューニャはホイ、ホイと、手を伸ばし吸い込んだ。

 待てよ。
 掃除機なら“強”にすれば動く必要も無い?
 両手を広げる。
 頭の中では掃除機。
 それらはみるみる吸い寄せられた。

「出来た!」

 吸い込んでわかった。
 母数が大きすぎて実感が無かったが、分裂すると確かに弱くなるようだ。

 となると、次は意識。
 自分が自分を制御する感じ。
 まさにアバターだ。
 ピョンと跳び、シャッターを押すように一人だけ切り取る。

(跳ぶことも無かったか)

 それにコントローラーを付ける感覚。
 目を瞑り、意識を繋ぐ。
 シューニャは振り返った。

「ビックリしたーっ!」

 分裂したシューニャが瞬きをした。

「こっちこそ!」

 彼女もまた驚いている。

「凄いなこれ! ・・・喋れる?」
「今喋ったじゃない」
「おー凄い! 喋った!」
「何言ってるの?」
「返事してるし!」

 クローンは呆れた顔をしている。

「名前は?」
「シューニャ・アサンガ」
「私が誰だかわかる?」
「誰? ・・・そっくりさん?」
「私は貴方の・・・言うなれば、大本です。貴方はクローン」
「え?」
「今、分裂したじゃん」
「分裂? 何時よ。知らない」

 どうやら生まれた時点の記憶は無いようだ。
 地続きというわけでは無いか。
 そうだ。これだけは確認しておきたい。
 サイトウさんが言っていた。

「君は分裂出来る?」
「分裂、何を?」
「自分を。出来る?」
「自分を分裂?・・・どういう意味。グリンじゃあるまいし」

 なるほど出来るという発想も無い。
 今、分裂という経験をしたのは私だけのものだ。
 彼女じゃない。
 そしてグリンの事は当然のように知っているわけだ。
 ということは過去の記憶はある。
 確かにクローンっぽい。
 でも、近々の記憶は無いかもしれない。
 仮にそうだとすると海馬はトレースされていないかもしれない。

「じゃ、いいや。君は日本・本拠点に戻って、寝ている私を起こして」
「どうやって?」
「どうやってって・・・」

 そうか。
 船が無い。
 船も分裂させる必要がある。
 ちょっと待て、思ったより面倒くさいぞ。
 もっと、こう、ポンポンポーン! って出来ないものか。
 経験して熟練度を上げるしか無いか。
 外の方法もあるかもしれない。

 飢餓感が増している。
 次の波だ。
 まずは食事か。

「過去の記憶はある?」
「過去って? 何時の?」
「例えば・・・」

 そうだ。
 STGIのノート。
 私は何度か思い出そうとしたが思い出せなかった。
 母にも電話を出来ていない。
 サイキさんに止められた。

「STGIのノート、覚えてる?」
「え、なんで知っているの!? ・・・覚えてないけど」
「おい~、なんでよ~」

 先入観が無い分、ポンと思い出すかと思ったが、そうもいかないようだ。
 私が思い出していない以上はクローンも思い出していない。
 まさに彼女は私そのものなんだ。

「ところで・・・君は私とそっくりだし、やけに詳しいね?」
 クローンが言った。
「当然。言ったじゃない。私が本体だから」
「本体? 何それ? キャラデータ公開した記憶無いけどなぁ・・・」

 成程、そういう認識か。
 ゲームではメイクし放題だから、似ることは間々ある。
 公開も可能だから、人気のあるアバターは亜種が多い。
 真似られたという認識なんだ。

「ビーナス知ってる?」
「私のパートナーだからね。美人でしょ」
「アメンボ赤いなあいうえお」
「何、突然?」
「言ってみて」
「なんでよ」
「いいから」
「アメンボ赤いなあいうえお」

 同じだ。
 本当に同じ。
 ニュアンスまで。
 私には独特な訛りのようなものがあるらしい。
 お芝居でかなり指摘されたが認知出来ず結局直らなかった。

「セクシーダンス躍ってみて」
 クローンは吹き出した。
「何でよ。やらないし、そもそも知らない。知ってても踊らないし。恥ずかしい」
「オイオイオイ! 俺、可愛いじゃないか!」
「何言ってるの、気持ち悪いなあ」
「ある意味で正しい。中の人はオッサンだからね」
「君も? 笑える」

 この反応も自分らしい。
 凄いな。
 でも、これは混乱する・・・。
 気づいて良かった。
 単に分裂するとこうなるんだ。
 考えようによっては恐ろしい。
 何か区別できるようにしないといけない。
 主従関係を明確にし、識別コードのようなものも欲しい。
 自分にABCとか付けるにも嫌だし・・甲乙とかも。
 数字もなぁ・・・ミドルネームにするか。

「ん?」
 グリンからだ。
「どうしたの?」
 クローンが私を見た。
「グリンから。聞こえたでしょ?」
「何も聞こえないよ。・・・なんでグリン知ってるの?」

 聞こえない?
 クローンは宇宙に接続出来ないのか。
 色々と差がありそうだな。

「STG29の管理宙域に入るって。一旦戻って」
「STG29!? 戻るって?」
「だから、私の所に」
「なんで?」
「なんでって・・・私が本体だから・・・」
「イミフ」
「ん~・・・ごめん!」

 手を伸ばして触れた。
 吸い込むイメージ。
 直は速い。
 まるで栓を抜いた水槽の水ように吸い込まれた。
 “しゅぽん!”そういう感じ。
 ほとんど一瞬。

「・・・気持ちのいいもんじゃないな」

 クローンがショックを受けた顔のまま吸い込まれたのが見えた。
 統合される瞬間まで無かった感情が同時に去来する。
 やはり間違いない。
 彼女は私をファンか何かのソックリさんだと思っていた。
 同時に不思議にも思っていた。

(何より・・・)

「なんで!」「何事!」というショック。
 事故に等しい。
 彼女は今まさに消えた。
 この宇宙から。
 ほんの今さっき生まれ、今死んだ。
 気の毒に感じた。
 自分なのに。
 この僅かな時間に彼女は独自に生きていたんだ。

「分裂と統合時には予め考えないといけないな・・・メンタルがやられる」

 とにかく今はエネルギーだ。
 感傷に浸る時間は無い。
 満タンにしないと。

「グリン、やろう!」

 つい喋ってしまう。
 でも、今回は届いている。
 両方接続している感覚。
 今は彼女を妄信するしかない。

 出来るだけ見つからず。
 通りすがりに頂く。
 辻斬りみたいでちょっとアレだが。
 STG29に出来るだけ気づかれないように。
 出来る限り文明的接触は無い方がいい。

 さっきの経験も活きそうだが、今は止めておこう。
 STGI、思っていた以上に出来ることが多いかもしれない。
 飛行機という形状、武装という部分に囚われ過ぎたかもしれない。

「よし!」


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