黄レ麗:第六十九話:先生と僕

先生の教室が見える。
何をしようと言うんだ僕は。
そもそも先生は部外者もいいところだろ。
どうにかなるなんて思ってはいない。
聞いて欲しい。それだけでいい。
��先生はセラピストじゃない)
そうじゃない・・・違うんだ。
��学校にいるだろカウンセラーは)
カウンセラーは他人なんだ。
何を言われても心に響かない。
でも先生は違う。
親身になって聞いてくれる。
やったことを言うし、やってることを言う。
今の僕にはすがる希望が欲しい。
��希望・・・)
何かあったような。
��あ、ナメカワさん・・・)
僕は不意に彼女のことを思い出す。



「そうだ・・・」
忘れていた。
彼女のこと。
「私ならなんとかできるから」
今日、彼女は言っていた。
「そうだよ。具体的な希望があったじゃないか」
自分の中で肉体が拒否反応を示す。
��どうして?)
マイコちゃんやナガミネは色々と言っていたけど、この際だから悪魔とでも何でも取引したい。そもそも彼女を悪魔だなんて酷い話だ。
��本当に天使なんだろうか)
彼女らには何か勘違いがあるかもしれない。
��そうなのか?)
本当に彼女がそんなに悪い人なのか?
大前提としていい子だとは言っていたじゃないか。
��いい子ならどうして恐れる必要があるんだ?)
「あまり近づかない方がいいから」
マイコちゃんは言った。
「お嬢はアンタッチャブルな存在」
ナガミネは恐れている。
でも、彼女は僕にレイさんの危機を教えてくれた。
今回で二度も!
お金の件だって彼女から聞かなかったら絶対にわからなかった。
救われたんだ!
彼女が悪魔なわけがない。
いや、それはどうでもいい。
彼女が悪魔でも天使でも、レイさんを救ってくれるならなんでもいい。
これは僕がすることだ。
もし万が一にでもナメカワさんが僕に何かして欲しいなら何だってやる。
それで僕が陥れられるんなら、それは僕の問題だ。
僕だけの責任。
黙っていればレイさんも気づかない。
��それでいいじゃないか!解決方法はあったんだ!)
ナメカワさんは絶対に言わないだろう。
それならレイさんも彼女らも傷つかないで済む。
��本当にそうなのか?
バレない秘密なんてあるのか?
後になるほど、
時間が経つほどに深く傷つけることになるんじゃないのか?)
煩い!煩い!決めたんだ!
こういう時に携帯があれば。
そもそも彼女の電話番号を知らないか。
どこに住んでいるかもわからない。
��明日・・・明日だ・・・まだ間に合う)
レイさんの退学や停学を取り消してくれるならやる。
ナメカワさんがそんな酷いことをお願いするはずなんてないじゃないか。
酷いお願いでもいい。
レイさんを助けたい。
��そうだ彼女が自分を頭数に入れないのに僕が入れてどうする)
帰ろう。
先生に頼ってばかりじゃ駄目だ。
だからお母さんに先生のことで変な誤解を与える。
��でも近いんだから顔ぐらい見せても)
先生の教室が間近に迫る。
「帰ろう・・・」
��先生、僕は独り立ちします)
教室へ向かって軽く頭を下げ踵を返す。
「あれ?やっぱりマーちゃんだ」
声がする。
「あ・・・」
先生。
「やっぱりそうだ。どうしたい水臭いな、近くに来たんなら寄ってきなよ」
先生はいつものように笑顔。
この人は太陽みたいな人だ。
いつも明るくて動じない。
「いえ、用事があるので・・・」
「用事ってなんだい?」
予想外に強い口調で返ってきた。
「この後、マキらとネットでチャットすることになってるんで」
嘘をついた。
「そんなの明日でいいでしょ」
引き下がらない。
「いえ・・・大切な話なので・・・」
「いいから寄ってきなって」
譲らない。
なんでなんだ。
「雨に濡れちゃったから、帰って速く風呂に入りたいし・・・」
「なら丁度良かった。これから風呂屋へ行こうと思ってたところだから一緒に行こう」
いつも思うけど、先生は超能力があるんじゃなかろうか。
「え・・・でも・・・」
「じゃ、行こうか。君が言いづらいならマッキーには僕から電話しようか?」
「いや、いいです。あの・・・・着替えもないですし・・・」
「着替えなんてウチに幾らでもあるから」
返事を待たず、先生は教室の下にある先生のお父さんのお店に入っていく。
そう言えば一階は先生のお父さんのお店だっけ。
「お父ちゃん、今から風呂いくから風呂券ちょうだい。二枚・・・ん?なんでもいいから。・・・二枚。うん、うん・・・・四の五の言わずにさっさとよこしなって!それと、コレとコレ、あとコレもらっていくから。お金は後で払うよ。ん?・・・・なんでもいいだろ!ガキじゃないんだ。全くいつまでも子供扱いして・・・」
遠慮のない声に驚く。
��先生でもあんな喋り方するんだ・・・怒ったら怖いな)
新たな一面を見た気がする。
「全くな、四十もとっくに過ぎているのにいつまでもガキ扱いだよ。はいこれ、着替え。さ、行こうか~」
「あの・・・お金は自分で払いますから」
「何言ってるの。いらないよ僕が勝手に押し付けるんだから」
「でもお店の商品ですし・・・」
「僕が後で払うからいいんだよ」
「いや、それなら僕が・・・」
「なんだい!君も僕を怒らせたいのかい?僕がいいって言うんだからいいんだ!」
「すいません・・・」
短気だ・・・。
「子供が気にしないの。どのみち高いもんじゃないんだから」
「僕のせいでお父さんと喧嘩までさせちゃって・・・」
「喧嘩?あんなもん喧嘩じゃないよ。毎日あんな感じだから。クシャミしたようなもんだよ」
先生は豪快に笑う。
改めて不思議な人だ。
初めて銭湯に行く。
まだあったんだ。
そういえば先生のアパートには風呂がないって言ってた。
スーパー銭湯や旅館のお風呂、露天風呂には入ったことがあるけど、本当に市民の銭湯というのは初めてな気がする。
先生はまるで僕がいないかのように振る舞って見える。
道中は何も聞かず風呂屋でも何も言わない。
ただ黙って二人分の風呂券を出し、石鹸やタオルセットを当たり前のように僕の分を払い僕に手渡す。
僕はキョロキョロしながら湯船に浸かった。
��どうも落ち着かない)
でも湯船につかった瞬間、どうしてかホッとした。
��単純なものだ)
旅館の風呂とも違う雰囲気。
なんだろう・・・特別感がない。
彼らにとっては日常なんだろう。
自分の風呂のように振舞っているような気がする。
僕だけが浮いているかもしれない。
誰も気にすることなくつかっている。
��あー・・・温まる・・・気持ちいい)
今でも風呂屋の背景は富士山なんだな。
あまり上手という感じもしないけど、なんとも味がある絵。
今の時代と違う雰囲気を感じる。
それがまたいい。
��あ~いいなぁ・・・たまには銭湯にも行こう)
先生はタオルで前を隠すそぶりもなくズカズカと歩いている。
僕は恥ずかしてく前を隠した。
隠しているのも概ね僕ぐらい。
「僕に合わせなくいいからね、ゆっくり浸かるといいよ」
先生に言われたけど先生に合わせて僕も出る。
「なんだいもういいの?他人に合わせたら毒だよ」
「いえ、いいんです、もう」
「そうかい」
言葉少なに風呂屋を後にした。
「すいませんでした、今日はこれで・・・」
「寄ってきなよ」
「でも・・・」
「いいから。僕が言い出したら聞かないって気づいてないの?」
また笑う。
なんとも無邪気な笑顔。
まるで小学生みたいだ。
どっちが子供かわかったもんじゃない。
「ええ・・・」
「じゃあ、行こうか」
帰りたいのに。
どうしてか先生がとった下着や洋服はサイズがピッタリだった。
「んで・・・どうしたい?何があった」
帰りにコンビニでアイスや飲み物、お菓子を買い、座るなり先生は言った。
アイスをショベルカーがさばくように食べる。
「・・・」
「言わないと帰さないよ」
強い口調とは裏腹に柔らかい笑顔。
僕はいつの間にか饒舌になっていた。
泣きながら、
怒りながら、
熱を込めて、
冷め切って。
話終えると、予想外の答えが返ってきた。
「何が問題があるの?レイちゃんがそれでいいって言ったんでしょ」
「良くないですよ!理不尽です」
「あのね。君は子供だからまだわからないかもしれないけど、そういうものなの」
「わからなくて結構です!」
「確認するけど、彼女がいいって言ったんだよね?」
「いいました」
「なら、いいじゃないか」
「良くありません!彼女は悪くない!」
「だろうね」
「ならどうして!悪くないのに彼女があんな目に合うなんて納得出来ません。僕はスズキを絶対に許しません!今直ぐにでも顔の形が変わるぐらい殴ってやりたい!」
「熱いね~」
「茶化さないで下さい。僕は本気です」
「だろうね」
「社会ってそういうものだから。彼女がされたこと、そして今そうなっていることは理不尽だよ。でも君がやろうとしていることは彼女をより不幸にさせることだ。君は構わないと言うのかい?」
身体の力が一気に抜ける。
そこは気になっていた。
「レイさんにも言われました・・・・」
「だろうね」
「でも・・・・納得出来ません」
「大切なのはあれかな、君が納得することかな?」
「・・・・違います」
「彼女の幸せだよね」
「はい・・・」
「その彼女がそれでいい、それがいいと言ったんだよね」
「はい・・・」
「いいじゃないか!」
「良くないです!」
「つまり君の我儘ってことでしょ」
「我儘でいいです」
「なんだい、ガキみたいだね」
「ガキでいいです」
静かになった。
外を歩く人の声が聞こえる。
「いい加減にしろ!」
およそ聞いたことがない怒号が飛び出した。
空間が振動したような衝撃で、僕は目を見開く。
「煩いぞ!」
今度は隣の部屋から怒号が響き、壁を一度叩く音がする。
「お互い様だ!」
先生はその声を上回る怒号で答え、壁を蹴り返す。
初めてみた。
先生のこんな姿。
隣は静かになった。
「彼女の幸せを君は考えないのかい?」
穏やかに言う。
今さっきあった隣の苦情がまるで無かったかのよう。
「でも・・・回避方法はあるんです」
「なんだい?」
「思い出したんですけど、ある人に頼めばレイさんをヤメさせずに丸く治めることが出来ます」
「ある人って誰?」
「・・・ナメカワさんってクラスメイトがいて、そう言ってくれました」
「女か?」
「女というか女子です」
「だから女だろ」
どうも引っかかる言い方だな。
「彼女が今日ボクに助けになるって言ってくれたんです。回避方法があるって」
「その子、どういう人か聞かせて。詳しく」
思い返すと先生にナメカワさんのことを言ったことがないかもしれない。
僕はこれまでのナメカワさんのことを話した。
夢中になって。
時間を忘れて。
僕の知る彼女の全てを。

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