STG/I:第百三十一話:ルームシェア


 ケシャが肯定的な反応を示したことに家主は激しく動揺した。
 過去にプラスの反応を見た記憶がなかったからである。
 しかも、この明らかに異常な状況下で。

「・・・ブラックナイト隊の人?」

 不可解な単語。
 恐らくゲームと関係があるのだろう。
 不思議な生物でも見るような顔で彼女を見る。

「もっといいものですよ」

 派手さを感じる中年女性は、穏やかに、一方で、異なる意味を含め、ヌメリと言った。
 スーツが顔を上げると、目尻を下げ、張り付いた笑みを見せる。
 不自然なほど歯は見せない。

 その様は事情の判らない家主からすると合意の空気が流れたように感じられた。
 無力感に包まれ脱力する。

「出てって!」

 だが、ケシャは強い拒絶を示す。
 そのか細い体から想像も出来ないほど。
 家主にとって生まれて初めて聞く煌めく爆発のような声。

 それは異質な来訪者達も同じだったようだ。

 意表をつかれたのが伺える。
 彼女の発声を受け、薄っぺらい「観念」の仮面が消し飛んだように見えた。
 自我を失い、呆然とした直後、「素」が出ている。
 目を剥き、口を開け、憎悪に包まれ、震える。
 家主が見たスーツ男の歯はガチャガチャで酷くくすんでいた。

 だが、その羞悪な表情も訓練された観念により即座に是正される。

 女はその点において三人の中で最も優れていたようだった。
 ”如何にも”だけは何時までも憎悪を滲ませている。
 ダメ押しをするかのようにケシャは言った。

「ブラックナイト隊よりいいものなんて・・・無いんだから」

 その声は静かだった。
 派手女は目を見開き、笑みが張り付いたまま”如何にも”を見て頷く。
 男が彼女に歩み寄る。

 家主が間に割って入った。
 自分の中でこれほどの強い思いが湧いて出るとは思わなかった。
 何も考えていなかった。
 動いていた。

「帰って下さい」

 その言葉は静かだったが力強く響く。
 目でも”如何にも”を制する。
 だが”如何にも”には通用しない。

 次の瞬間、家主が棒のように横へ飛ぶ。
 ”如何にも”が右フックを振り抜いている。
 それを見たケシャは瞬間的に紅潮。
 呆然と座り込んでいる女からヘルメットを奪い、上体を伸ばし、両手に満身の力を込める。
 目線を受け”如何にも”が身構える。

「逃げてーっ!」

 発声と同時に振り下ろす。
 彼女は体の向きを変えている。
 ターゲットは派手な中年女性だ。
 迫るヘルメットを見て派手女は恐怖で顔を歪める。

 だが、寸ででスーツ男がケシャの左腕を掴み、手元に寄せながら下へ引く。
 スーツは武道の心得があるのか、振り下ろす最大パワーが出る前に力を削いだ。
 派手女は両手で恐怖に歪んだ顔面を庇う。
 のけぞり、廊下に後ずさると壁に背中をぶつけ、尻もちをつく。
 手を掴まれたケシャは姿勢を崩し、踏ん張れず、余力で倒れた。
 そのままスーツに肩を抑え込まれる。

 ヘルメットが乾いた音をたて床に落ちた。

 ”如何にも”は自身の防御姿勢に気づき、羞恥心が憎悪に変わる。
 それは派手女も同じ。
 薄っぺらい観念の笑みが簡単に剥がされ自尊心が傷ついた。
 憤り、震え、治療中の歯を剥き出しにし、猫の威嚇のような声を上げた。
「やるぞ」
 ”如何にも”が派手女に聞く。
 ドスの聞いた、本職にしか成し得ない声。
「やって!」
 派手女は本来の目的を忘れ、怒りにまかせて言ってしまう。
 同時に頭の中では打算が働く。
「ヤツが勝手にやったことにしよう」そう考えた。
 考えながら何故か意識を失う。
 静かに横倒しになる。

 憤怒の形相で”如何にも”がケシャに手を伸ばした時、
 暴力のプロとしての本能が異変に気づく。
 だが、それは手遅れだ。
 次の瞬間には拳が顔面をとらえ、追撃の二手で朦朧とする。
 そして穴に落ちるように意識を失う。

 スーツがそれに気づいたのは全てが終わった後だった。
 立ち上がった筈なのに自分の意思とは無関係に視線が下がっていく。
 そして強い衝撃と共に床と同じ目線になった。

「入りました」

 女の声。
 ”如何にも”を強襲したのは女だった。
 嘘みたいな十等身。
 映画の中から抜け出たような鍛え上げられた艶美な肉体。
 タイトでエナメル調の赤黒いボディースーツ。
 戸口から突然現れると、豹のように低く美しい姿勢から腕が伸びインパクト。
 それで”如何にも”が悶絶。
 エナメルの女は予備弾倉のように太ももにセットしてある注射器を無造作に手に取る。
 キャップを取ると、慣れた調子で”如何にも”の腕に刺す。

 スーツはそれを見て迎撃しようと立ち上がった。はずだった。
 今何が起きているのか、どうして自分は床に這いつくばっているのか。
 言えることは、首が痛い、背中が痛い、息苦しいということ。

「はぁーっ・・・動きにくいなぁ・・・たまんない・・・」
 言葉から響くストレスの一方で興奮しているのが伺える。
「ハイ、カット!」
 カメラを持った男が入ってくる。
 エナメル女が後ろに束ねた腰まで届く黒髪をセットし直す。
「こんなんじゃウンコも出来やしない・・・」
 エナメルは丹精な顔立ちに似合わずハッキリと言った。
「おい~そういう台詞はカメラが回っている時に言ってよ~。それに、そのためのジッパーがついているんだろ?」
 ガタイのいいカメラ男がガニ股を開き、股下でジッパーを操作する動きを見せる。
 昭和のコントで出てくる泥棒のように髭が口の周りを覆っている。
 濃く太め、でも頭髪は薄く、いつカットしたのだろうといった風情でボサボサだ。

「俺がトイレだ」

 スーツ男子の頭上で声がした。
 どうやら自分はソイツに肩をきめられ、背中を抑え込まれているようだ。
 いつ?

 彼を抑えている男が言った。
 涼しい顔をした今風の顔。
 顔は小さく目は細く切れ長。
 どこにでもいるような普段着だが妙に似合う。
 極普通のジーンズに綿の白長袖シャツ。
 ローライズではない。
 バンドもしている。
 シャツには無地で、プリントも無い。
 着込んだ風ではなく、卸したてに近い印象。
 チラチラとヘソが見えた。
 エナメルは表情を一変させると耳に手を当て、言った。

「ミッション完了。ターゲット確保。修羅場でした」

 簡単な言葉を交わすと相槌をうっている。

 ケシャがエナメルを猫のようにじっと見つめている。
 話し終えると、彼女はミチミチと音をたてながら両膝を床に着き言った。
「驚かせてごめんなさい。・・・ドラゴンリーダーの部下です」
 エナメルは詳細な情報をすっ飛ばした。
 険しいケシャの眼に光が戻ってくる。
「シューにゃんを助けて! 力を貸して!」
 目に涙をためる。
 皮膚が斑に赤くなっている。
「わかりました。どうすれば助けられますか?」
 出会ったばかりの女達はまるで旧知の友のように話し始める。
「出た方が良くない?」
 カメラを担いただ男が出た腹を掻きながら聞いた。
 エナメルはカメラ男を手で制し、ケシャとの話を続けている。
 爽やか男子は、床に捻じ伏せたスーツ男を起き上がらせる。
 もう無抵抗。
「本拠点へ連れて行こ」
「わかった。俺たちは車に戻ってる。通報されているかもしれないから、急いで」

 エナメルは頷くと、ケシャの瞳を一心に見つめ聞くに徹していた。

*
 
 タイムプラスで雲が流れる青い空。
 日本では最近余り見られなくなった幾重にも伸びる筋状の雲。
 スチールグレーの床が鏡のように空を反射している。
 三十メートルほど先に白い丸テーブル、椅子が三つ。
 歩き出すと硬い音が響く。
 革靴を履いている。
 左右に首をふる。
 地平と空しか見えない。
 その割には靴音が響いた。
 まるで狭い空間での響き方。
 更に二歩三歩を進める。
 テーブルは遠い。
 男は「ああ」とばかりに頷くと言った。

「テーブルの前へ」

 空間がゴムのように伸びると、一気に縮む。
 目の前に白いテーブル。
 男は満足そうに笑みを浮かべる。
 蔦がデザインされた鋼鉄製の白い椅子。
 重々しい椅子を引いて座ろうとすると、動きが止まった。
 目線を上げ、第三の椅子の方、そのずっと先を見る。

「いるんでしょ、貴方もどうぞ」

 何もない筈の空間から男がスルリと現れる。
 遠かったが、まるでズームしたかのように見えた。

 ボサボサの髪。
 あまり手入れされていないのが伺える。
 中途半端に伸びている髭。
 身長は百七十五センチぐらいだろうか。
 アポロ13号で観たような古いタイプの宇宙服を着ている。
 中年だがたるんでおらず、ガッシリしており、見るからに働く肉体。
 服の上からでも把握出来た。
 ヘルメット越しにも頭がいいことが判る。
 少年を感じさせる人懐っこい顔だ。
 男は何かを諦めたように笑顔で喋りだした。

「驚いたな。まさか一発で見抜かれるとは・・・末恐ろしい」
「気づいちゃう人なんだ、昔から。それとココは僕の夢の中だから、ね」
「・・・昔からとは、何歳ぐらい?」
「ん~、自覚出来たのは小学校三年生。でも五歳にはもう」
 鏡の男は驚いている。
 そして訊ねた。
「君は誰だ?」
「私?・・・私は・・・」
 男の表情がみるみる変わる。
 我に返るとはこのことだろう。
 戻ってきたのがわかる。
「サイトウさん・・・」
 感嘆の声が混じる。
 鏡の男はサイトウだった。
「忘れるな。認識しろ。認識に生きろ。まずは考えるな」
 漫画のようにどっと汗が吹き出るのが感じられる。
「私は・・・」
「STG28でシューニャ・アサンガと名乗っている。だな?」
「はい・・・はい、そうです」
「そして今、STGIに乗っている」
「どうしてそれが・・・」
「・・・なるほど」
「何か?」
「まず最初に、ココでの会話は聞かれている」
「誰に?」
 サイトウは二番目の椅子を見た。
「え?」
 誰も座っていない。
「長くは話せないし、枝葉末節に展開させる余裕も無い。出来るだけ簡潔に、一方で象徴的に伝えようと思う。ちなみにココは君の中でも無く、夢でも無い。覚えておくように」
「あの、色々、えっと・・・頭が回らない、です」
「うん、それでいい。及第点。認識に努めて。自分を誤魔化して得は無い」
「STGIのことを色々聞きたいんだです!」
「わかる。私もそうだったから。でもココでは出来ない」
 男は何か聞きたげだったが、サイトウは遮る。
「今は私が一方的に伝える。君は聞くに徹しろ。そして理解するよう努力してくれ。無理の無い範囲でね。理解できない事は一旦棚の上へ。棚の上とは、忘れることじゃないよ。何れやる課題だ。言ったように時間も無い」

 サイトウは自分が宇宙服を着ていることに初めて気づいた風に見えた。
 ヘルメットを外すと脇に抱え僅かに近づいた。

 カメラが寄ったり引いたりするように彼を見れる。

「まず、STGIの話しを詳細にするにはお互いがSTGIに乗る必要がある。宇宙に接続しない限り伝えるのは無理だろう。理由は単純でSTGIは言語化出来ない部分が多い。共通認識に無い存在だ。加えて君と僕では見ているものも違いすぎる。例えるなら、木を見て森を見ず。今の君は見えても『木』がせいぜい。侮辱しているんじゃないよ? 知識と経験の差だから当然だ。私もそうだったからね。今は木は見れても森は見れない。それは当然のことだから。通り過ぎないとわからない。今は木を見ることに専念してくれ」

 更に少し近づく。
 まだ十メートルはありそうだ。
 声は距離に関係なく、ノイズも無く、均一に聞こえてくる。
 耳を通してというより直接データが流入してくる感じに近い。
 見えているビジョンと声の距離感が違う。

「STGIという用語も私が考えた。なお私のSTGIは奪われている。ジェラスと命名した宇宙人に。彼女から逃れる術は今のところない。君は自覚が無いだろうが、君のお陰で私は自由の身になった。ありがとう。でも、それも一時的なものだろう。私のSTGIは裏返っている。君のは表だ。表と裏で話すことは難しい。君の裏側は今ブラック・シングに捕らえられている。筒状のヤツだ。君は裏に乗るな」

 また三歩近寄る。

「君を助けるようアダンソンに言われ、私がそうした。そのアダンソンは死んだ。殺されたと言っていいだろう。恐らく犯人はジェラス。STGIがどこから来るか気づいたんだと思う。アダンソンが残した痕跡があるだろう。私も探すが君も頭の片隅に置いておいてくれ。マザーは証拠にこだわる。ブラック・シングには固有の形状があるが、今は割愛しよう」

 また歩み寄ったが、今度は五歩。

「STGIだが、肝心なことを言っておく。既に少しは経験しただろうが、莫大なパワーを使える。その力は創造に等しいと言っていい。だが、燃費は悪く、莫大な代償も伴う。君も恐らく少しは味わっただろうが、そんなレベルのものではない。契約内容を覚えていないだろうが、必ず思い出せ。痕跡はある。でないと手遅れになる。契約を理解していないと飲み込まれる。嘗てのSTGI搭乗員のようにね。契約内容を思い出すまで力はセーブしろ。力の行使は即そのまま契約成立を意味する」

 サイトウは彼を見て眉を寄せ、二歩下がった。

「そうだな・・・。例えばだ、詐欺だったとしても身に覚えの無い商品にお金を少しでも払ったら後でややこしいことになるだろ? それと同じようなものだ」

 笑みを浮かべると一歩前へ出た。

「今は意味がわからないだろうが表と裏に同時に乗るな。そして絶対に表と裏を近づけてはいけない。格納したエネルギー次第ではあるが、三十%程度でも太陽系程度は消し飛ぶだろう。問題はそれだけでは済まされない点だ。詳細は省く。忘れるな」

 サイトウは表情を見て含みを持って言った。

「今はエッセンスだけ蒔いておく」

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