STG/I:第百十七話:エゴ

 蹲り、両手で顔を覆い、シューニャは大粒の涙を流している。
 と思ったら、何事もなかったように素早く立ち上がった。
 驚いて思わずサイキはスタンガンを構えてしまう。
 シューニャは何も見えていない様子。
 その喋りは少年のようだ。

「母さん・・・夜が怖い・・・どうしたら寝ないで済むの? 死ねばいいの? ・・・違う。僕の死は開放じゃない・・・死が怖い・・・母さん・・・僕は死んだら皆には会えないんだよ。真の孤独。アイツが言っていた・・・僕が死んだら永久に戦わないといけない・・・ヤダ・・・そんなの嫌だよ・・・」

 まるで舞台の一人語りのシーン。
 サイキは知らずシューニャの胸に照準を合わせていた。
 額に冷や汗が浮かぶ。

「満面の笑みで、張り付いた笑みで見るんだ。何時も! 怖いのに! 彼は僕の死を誰よりも待ち望んでいる。逃さない。僕の体に食い込んで・・・」

 服の襟首を左手で掴むと満身の力で引っ張る。
 繊維の悲鳴が轟くも裂けない。
 首筋に爪を立て引掻くと、真っ赤に筋が浮かび血が滲んだ。
 
「食い込んで、もう手遅れだ! 戦うしかない。彼を満足させる為に。寝ると待っている。起きている時だけが僕の時間。なのに起きても眠たくて疲れて何も出来ない。辛い・・・辛いんだよ! 生きているのが辛い。死にたい。でも死にたくない・・・死んだら最後、僕は僕のまま僕でなくなる。思い通りに動けないのに皆が殺される様を見続けないといけない。それだけは嫌だ・・・。意識を失う権利も無い・・・。助けて!・・・二度と戻れない。母さん・・・」

 ジェンガのように突然崩れ落ちた。
 横になったまま涙を流している。
 サイキが怒気を含んだ表情に変わると憤然とし叫ぶ。

「俺が守る! ココは地球だ! 出てこい!」

 シューニャは重力に反し吊られたように立ち上がった。

「地球?・・・」

 サイキは背筋が凍った。
 無意識に膝がガクガクと震える。

「地球・・・月が守った星・・・」

 走馬灯のようにサイキはこれまでの人生が逡巡。
 並大抵の修羅場では無かったと自負している。
 にも関わらず恐怖に鷲掴みされている。

「どなたですか?」

 シューニャは幼子のように尋ねた。
 同じ人間がここまで雰囲気が変わるものなのか。
 サイキは思った。

「・・・サイキだ。わかるだろ?」

 サイキは恐怖の重い扉を辛うじて押しのけ静かに言った。

「サイキ・・・さん・・・」

 シューニャの空気感がまた変わる。
 携帯がSMSを着信した時のように一瞬だけ震えた。
 トリガーに力がこもる。
 恐怖が限界に来ている。
 自制出来ない。

「サイーキ・・・」

 微かなその声を聞いた時、
 無意識に撃っていた。

 空中で止まっている。
 芯が刺さっていない。
 勘違いじゃない。
 マジマジと見る。
 シューニャの足元から沸騰するように影が霧のように舞い上がる。
 呆気にとられ舞い上がる黒い霧を見つめる。
 形を成すと、それは頭に紐がついた人の形に見えた。
 黒い紐は天井を抜けている。

「サイーキ」

 今度はハッキリ聞こえた。
 漆黒の影に笑みが張り付いて見える。

 サイキの顔が恐怖で埋まった。
 足が嘘みたいに震える。
 顔はクシャクシャで今にも泣きそうだ。

「上等だ!」

 恐怖がピークに達すると彼の理性は飛び怒りに変換された。
 スタンガンを投げ捨てるとジャケットに手を突っ込む。
 その手には拳銃が握られている。
 回転式拳銃44マグナム。

「出ろ! シューニャから出ろーっ!」

 黒い霧の影は色を失い陽炎のようになり揺れている。
 なのに顔らしきものだけは妙にハッキリと見える気がする。
 笑っている。

「サイーキ」
「ソイツはお前のじゃない!」
「サイーキ」
「出ろ!」
「欲しい」
 唾を床に吐き捨てる。
「クソがっ!」
 陽炎の手が伸びる。
 サイキは雷に打たれたようにビクリとする。
 トリガーに力をこめた時、どこからともなく声が聞こえた。

(起きた)

 ソレが目を反らす。
 陽炎が消えた。

「そういうことなんです」


 ビクリとする。

「恐らくブラック・ナイトを把握することは出来ない。・・・アレ? 私って・・・立ってましたっけ?」

 目に精気が戻っている。
 サイキは身体を撚ると、後ろ向きに銃をホルスターにしまう。
 肩で息をしている。
 額どころか全身から汗が吹き出して。
 下も少し漏らしたようだ。股が冷たい。
 手がガタガタと震えてくる。
 泣きそうだ。
 泣きたい。
 生まれてこのかた、こんな恐怖は初めてだった。
 何もしていないのに心臓が破裂しそうなほど鼓動している。
 息が苦しい。

「あれ? サイキさんも・・・立ってましたっけ? サイキさん?」

 サイキは咄嗟に汗を拭うと笑顔で向き直る。
 だが、その顔はやや引きつっている。

「え? ああ、そうだな。・・・立ってたかもな・・・まあ、座ろうや・・・」
「おかしいな、まただ・・・こんな感じで時々記憶が飛ぶんです。ココの所ずっと無かったのに・・・」

 サイキが今の言葉に反応する。

「それは・・・何時からだ?」
「何がですか?」
「その・・・記憶が飛ぶのは・・・」
「昔からですね」
「昔から?・・・昔?・・・そう・・か・・・昔から・・・」

 戦いの場ではバランスが崩れた者から死んでいくと教えられた。
 事実そうだった。
 激情に捉えられ激しく動く自分と、それを俯瞰する自分。
 その二人が均衡をなしていることが必要。
 それをこれまでの人生で学んだ。
 単なる冷静では肉体が反応出来ずに死ぬ。
 激情では大局が見えずに死ぬ。
 双方が高いボルテージを維持しつつバランスが取れている状態。
 もう二度と混乱することは無いと自負していた。
 冷静ではいられなかった。

 頭の中では今の出来事が逡巡し、自問自答している。
 引き金を引いていたら死んだのは恐らくシューニャだけだったろう。
 頭ではわかっているつもりだった。
 でも俺は引き金を引きそうだった。
 バランスが崩れている。
 声が聞こえなかったら、引いていただろう。

 何なんだアレは・・・俺は幻覚でも見ているのか。
 俺は散々悪行を重ねたがヤクだけには手を出さなかった。
 アレはバランスを失う。
 寧ろバランスを壊す為にやるようなものだ。
 俺が正気なら、シューニャには誰かがいる。
 アイツの地球の身体には、アイツ以外の誰かがいる。

 あの黒い霧はなんだ?
 なんで陽炎みたいに半透明になった?
 あれが宇宙人なのか?
 シューニャに取り付いている?
 それともシューニャそのもの?
 それと、あの声は何だ?
 気づかなかったがシューニャの声だった。
 ゲーム中のシューニャの声。
 幻聴?
 だとしたらアレも全て幻覚か?
 ありえる。
 そういうヤツを何十人となく見た。
 いや、違う。
 ソイツらとは決定的に違うものがある。
 アイツラはフワフワしていた。
 今の俺は違う。
 もう、バランスは戻っている。

 最初は霧のようで後から陽炎のようになった。
 シューニャが寝ている時ソイツに切り替わる?
 なんなんだアイツ。
 あの陽炎。
 恐らく撃っても効かないだろう。
 シューニャは死ぬだろうが、ヤツはどうなるんだ?
 死んだら永遠に戦うと言っていた。
 どういう意味だ。
 シューニャは不死なのか?
 それとも、死後の世界の話か?
 だが・・・間違い無く言えることはマザーによる宇宙人認定は間違っていない。
 ヤツが宇宙人というより、ヤツには宇宙人がいる。
 でもそれはマザーからしたら同じようなもの。
 俺からしても同じようなこと。
 俺がマザーだったとしても、排除以外に選択肢は無いかもしれない。
 敵なのか?
 味方なのか?
 味方には思えない。

「サイキさん? 大丈夫ですか?」

 シューニャが心配そうに覗き込んでいる。
 ビクリと反応し、一歩後ずさる。
 覗き込む顔は何時もの彼だった。
 でもサイキの顔には恐怖が張り付いている。

「あ、ああ。大丈夫だ。まあ、座ろうや・・・軽く漏らしたがいいよな。ソファーは後で買い替えさせるから」
「えっ! シャワー使って下さい」
「まあ構うな。買い換えさせるから・・・」

 サイキはノロノロと座る。
 シューニャは床を見たが確かに濡れていた。
 彼のスーツも明らかに股の辺りに後がある。

「気持ち悪くないんですか?」
「あ? ああ、この程度はなんでもないさ。人間な、生きてりゃクソの一つ、小便に至っては漏れいづるもんだよ。クソと共に去りぬだ。それより・・・ブラック・ナイトがどうにも出来ないことはわかった。マザーはどうなんだ? 敵か? 味方か?」
「わかりません」
「今の、さっきの話からするとマザーが全て仕組んだように思えるんだが・・・」
「キッカケを作ったのは地球人かもしれませんよ」
「前も言ったが、ロケットを飛ばすだけでヒーコラ言ってる俺たちに何が出来る?」
「探査衛星を飛ばしているじゃないですか。古いところでボイジャーとか」
「随分と古いネタだな。探査衛星って言っても、お前、あんな豆粒ようなもんがどんな脅威なんだ?」
「存在を知らしめることにはなる」
「あー・・・そうかもしれんが・・・」
「とにかくわかりません。あくまで可能性の一つです。ただ、たまたまではないようです。進路を地球へ伸ばした連中がいる。少なくともそう考えている知的生命体がいて、私はその記憶を見たに過ぎません。それがマザーかもしれないし、他の何ものかもしれない」
「わけわかんねーな」
「そうですね・・・例えばもし台風が突然あり得ない方位へ進路を不自然に変えたら疑いますよね。何があったか?」
「まあな。俺は興味ねーが」
「荒唐無稽な人工◯◯論なんて現代でも活発ですが、少なくとも何かはあったはずですよね。地球規模で」
「お前が言いたいのは『風が吹けば桶屋が儲かる』の逆バージョンだってことだろ。そうだろうが、興味ねーって」
「そうです。もうちょっと付き合って下さい。そのキッカケを作ったのが地球人じゃないとは完全には言えないと言いたいのです。もっとも可能性は低いでしょうが。意図せずした行為がたまたま導いてしまった。不運にして・・・。そういうことはあると思うんです」
「宇宙規模の台風か・・・」
「この銀河に、地球に、文明のある星で起きてしまっている。私はこのメモリを読み取った時、素直に受け取れました。ご存知ですか? 地球に降り注ぐ流星は毎日一トンぐらいあるそうです。毎日ですよ。コレは地球人の知見です。でも、それを意識して我々は生きてはいない。仮に意識したところで小市民である我々にとっては無意味です。それと同じことです。この宇宙では既に隕石型の活動は永遠と続いていた。台風のようにね。問題は不自然に進路が歪められた点。サイキさんは興味が無いと言いましたが、毎年上陸して日本や東南アジアで未曾有の災害を起こす台風をアメリカに進路を向けたらアメリカ人は怒りますよね」
「そりゃそうだろ」
「ですよね。でも、日本人や東アジア、東南アジアの皆さんは思うでしょうね。『あー今年は来なくて助かったって』短期的にはね。そう言えば今年は上陸しなくてよかったですね。その時、長期的なメリットは見ていない。台風は必ずしもデメリットだけではありませんから。でも、それは後からの話しだ。それは瞬間、瞬間は考えない。それと同じようなことがこの宇宙でも起きていた。それが歪められて、この地球で、この銀河で起きている。同様に、宇宙規模で見た時あの隕石達の活動にも言える。短期的に得をする者と損をする者。長期的にも言える・・・」

 サイキは身を乗り出して睨むと、すごんだ。

「長期的に見てラッキーだから今の状況はしょうがないって言いたいのか?」
「やだな~、違いますよ」

 シューニャは笑い飛ばした。

「言ったじゃないですか。それは振り返って総括した際の話です。瞬間、瞬間はそう思わない。それが我々小さきモノです。ようはバランスですよ。少なくとも言えるのは歪められたものは弊害が強い。言ってしまえばこのSTG内での対立のようなモノはそうした部分から来ている気がするんです」
「なるほど・・・」

 その小市民ならチビる程度の恐怖は送ったつもりだった。
 以前のシューニャなら凄めばそれなりにビビった。
 でも、今の彼にはそうしたものが感じられない。
 俺のことを舐めている?
 いや、違う。
 そうしたものは感じられない。
 でも、以前のヤツとは何かが違う。
 神妙な面持ちになるとサイキは疑念を一旦振り払った。

「お前はどう思うんだ? このままでいいか・・・進路を元に戻すか・・・」
「元に戻すべきでしょう!」
 間髪いれずシューニャは言った。
 サイキの顔がほころぶ。
「だって、銀河レベルではわかりませんが、少なくとも地球はもたないでしょう。我々はせいぜい目の前の食いぶちをまず確保するのが先です。生きる為の最善策を探すのが先。そんな先のメリットなんてわかりませんよ。そんなことは少なくとも連中を追い出して、少しでも余裕が出来てから考えましょう。何にしても無理に歪めていいことは無い!」

 サイキはソファーに寄りかかった。
 そして深呼吸する。

「俺もそう思う! ・・・良かったよお前」
「何がですか?」
「ああ・・・いや、同じ意見で安心したってこったよ」
「私が学者肌とでも思ったんですか? 理論の中の住人とでも? 私は根本的に現実主義だから」

 シューニャは笑っていたが、サイキは表面に反して笑っていなかった。

 これで一つの可能性とやらが新たに浮上した。
 シューニャの中にいるヤツは進路を曲げた連中かもしれない。
 理由がわからない。
 地球を足がかりにでもしたいのか?
 シューニャのように一人一人乗っ取ろうとでも?
 仮にそうだとして、地球人が魅力的だからか?
 違うな。
 過去の戦争から言える。
 地理的な理由かもしれない。我々より攻め落とした何かがある。
 でも、だとしたら随分と効率が悪いが。
 何にせよ俺たち地球人は大国のエゴに振り回される小さい田舎星ってところか。
「クソが・・・」
 思わず口をついたが、サイキは打ち消すように口を開いた。


 

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