STG/I:第九十七話:思い


 闇の中、蝋燭のようなぼんやりとした明るみが浮かぶ。
 声のする窓は消える気配がない。
 塊は好奇心をソソられ、朧気な明かりに向かった。
 弱々しい明かり。
 近づいて行く。
 飛行機に見られるような、小さくて分厚い窓がある。
 それを覗き込む。
 中年の男が横になっているのが見えた。

(こっちも中年男性か)
 真っ白な部屋。
 真っ白なシーツ。
 真っ白な顔。
 顔から痩せ細った身体が容易に想像が出来る。
 まるで改造人間のようにアチコチからチューブが延びている。
 ベッドの脇に老いた女性。
 ウトウトしているようだ。
 面差しや服装から品の良さ、家柄の良さが伺えた。
「お前は誰だ?」
 誰に言うともなく呟いたその声は眠っている男性にも届いたようだ。
 彼は目を開けると、横になったまま首や目をゆっくりと動かし辺りを伺った。
 コッチには気づいていない。
「俺はココだぞ」塊は言った。
 声には反応したが、見えていようだ。
 塊は、男がどこかで聞いたような特徴を備えていることに気づく。
 左のこめかみにオデキ。ホクロとは違う。
 斑に白髪交じりの顎髭。
 人懐っこい穏やかな顔。
 どこか可愛げのある表情をしている。
「サイトウって可愛いヤツなんだよ」
 不意に 竜頭巾 の言葉が浮かんだ。
 彼は照れくさそうに言っていた。
 あれがリアルなら惚れた人間の顔。
 小さくない好意の現れ。
 記憶の中でしか見たことが無い顔。
 塊は彼に会ったことが無い。
 言葉と特徴は彼が云ったものだが、記憶はグリンから得たもの。
 それが見事一致した。
(竜頭巾とは誰だ?)
 塊は思った。
「あれはサイトウと言うのか?」
 塊は窓にへばりつくように見入った。
 窓は小さく、分厚く、くすんで良く見えない。
 背後に気配がし、塊は後ろを振り返る。
「誰だ!」
 何かいる。
 闇が動き出している。
 声のする窓から漏れる明かりが闇を照した。
 窓からは相変わらず「シューニャ」と聞こえる。
 真っ黒な何か。
 近づいてくる。
 泥人形のように見える。
 人の形をしているようだ。
 女のような流線型。
 ゆっくりと歩み寄る。
 手を前に伸ばした。
(寒気がする)
「逃げろ!」咄嗟に叫んだ。
 誰に対して言っているのか自分でもわからない。
 小さな窓は閉じ、蝋燭のような朧気な光が消える。
 今はもうあの窓しかない。
 煌々と光る大きな窓。
 音が聞こえる窓。
「シューニャ! シューニャ! シューニャ!」
 泥人形の女は窓にも声にも気づいていないようだ。
 コッチに手が伸びる。
 どんどん伸びる。
 歩みより手が伸びる方が速い。
「アステロイド・アロー!」
 全力で叫んでいた。
 突然湧いた言葉。
 無意味な言葉。
 自分が空想した戦闘機の武装。
 それすらこの時点では把握していない。
 物理攻撃と設定していた。
 アニメのロボットが必殺技を使うように叫んだ。
 意味の無い言葉。
 でも子供の頃、叫ぶだけで力が漲った。
 嬉しかった。
 何か出来る気がした。
 馬鹿みたいなのはわかっている。
 でも、叫ばずにはおられなかった。
 女の悲鳴。
 伸びた腕は枝が強風に煽られるように揺れ、粉々に折れた。
 泥人形の女が顔を伏せ、身体をくの字に曲げる。
 その時には走っていた。
 足は無いのに。
 走るように飛ぶ。
 全力で。
 窓に手を伸ばす。
 手は無いのに。
「シューニャ! シューニャ! シューニャ!」
 声のする方へ。
 煌々と光る方へ。
「サイキさん!」
 叫んでいた。
 口は無いのに。
 声は出ないのに。
「シューニャ! シューニャ! シューニャ!」
 窓に手をかけ、
 飛び越えた。
 サイキが叫んでいる。
 必死に。
「シューニャ! シューニャ! シューニャ!」
 それ以外は何も聞こえない。
 声を頼りに落下していった。
 落ちながら、道を間違えないように。
 窓が閉じていくのが見える。
 闇の中、落ちていく。
 落ちるのは嫌いだったはず。
 闇は嫌いだったはず。
 でも、希望に思えた。
 暖かいものを感じた。
「んあーっ!」
 目が開き、全身がビクリと動く。
「シューニャ・・・シュー・・・ニャ・・・」
 胸を押す男は手を止めた。
(シューニャとは俺のことだったんだ・・・アレが俺なのか)
 男を見る。
「サイ、キさん・・・」
 声がかすれている。
(こんな声だったんだ俺は。女じゃないんだ・・・)
 サイトウは大きく息を吐き、大きく吸った。
 全身が接続していく感覚がある。
 懐かしい感覚。
 だが、まるで壊れかけた玩具のように上手に動かせない。
 手を見て、足を見て、顔を触った。
 まるで他人の身体を借りているようだ。
 辺りを見渡す。
「おっと」
 突然サイキはサイトウを抱きしめた。
 泣きながら、叫びながら。
 筋骨隆々とした男に生まれてはじめて抱きしめられた。
 しかも強く。
 サイキは野獣のように泣いている。
(何が起きた?)
 何が起きている。
 でも、不思議と嫌じゃなかった。
「シューニャ・・・俺がわかるか?」
 サイキは一旦離れ、顔を見た。
 わかるけど言葉にならない。
 そうだ、地球人は声に出さないといけないんだ。
「わ、かる」
 辛うじて声になった。
 だが、サイキの表情が曇る。
 立ち上がると、ゆっくりと距離を。
 警戒しているようだ。
(どうして?)
 身体が重い。
 地球人ってのはどうしてこうも身体が重いんだ。
 重力に魂をなんちゃらか。
 いや、この素体の筋力が弱いというのもあるな。
 筋肉だけじゃない。体幹も強く無いようだ。
 毒に侵されている。
(この身体は少しずつ壊れている)
 それに違和感。
 まるで別なものを混ぜたような。
 手をつかって立とうとするが上手く出来ない。
 まだフラフラする。
 視界も六十%程度といったところか。
 周辺部が暗い。
 サイキ以外に見知らぬ男と女。
 今、気がついた。
 いや、女は見たことがある。
 以前、サイキの代わりに見回りに来たことがあった。
 思いっきりタイプの子。
 サイキが元看護師と言っていた。
 二人の顔は混乱を示している。
(だとしたら俺が混乱していたとしても無理はない)
 サイキは数歩下がると言った。
「ブラック」
 ん?
「合言葉・・・」
 ブラック。
 ああ。
「ナイト」
 まるでサイキだけ地震でもあったかのように震えた。
「どうしました?」
 歓喜に包まれた顔。
 しかし険しい顔に戻る。
「ブラック!」
 叫んだ。
「・・・ナイト」
 満面の笑み。
「ブラック!」
「だからナイトだって。違ったっけ?」
 サイキは怒号にも似た声を上げ膝から崩れ落ちる。
「社長!」「社長?」二人が言った。
 何が何だか分からない。
(もう大丈夫だ。普通に喋れる)
 体感が告げた。
「サイキさん、どうしたんですか? 何があったんですか。お二人ともご苦労さまです。会社の方ですよね。・・・確か、間違ったらごめんなさい。オイカワさんですよね」
 サイトウは右の女性に声をかけると、彼女は怯えるようにニ、三度頷く。
 まるで生きているのが不思議とでも言いたげだ。
 男は訝しげにサイトウを見た。
 脛に傷を持つ男の顔。
 サイキの裏側の知り合いだろう。初めて見る。
「は、はい」
 彼女の目線を追うと、アタッシュケースを見ている。
 何が言いたいのだろう。
「ごめんなさい・・・そんな状況じゃないんだろうけど、お腹へってヤバイ!」
 満面の笑みで言った。
「場違いだろうけど、死にそうなぐらい減ってる。ちょっと悪いけど何か食べていいですか? 今だったら何でも食えそうだ」
 冷蔵庫へ向こうとすると、サイキは何も言わず力一杯サイトウを抱きしめた。
「シューニャーっ!」
 泣いている。
「ちょっと、どうしたんですか? それより、お腹へったんだけど」
「俺を抱きしめてくれ! 強く! お願いだ!」
 意味がわからない。
 でも・・・
 やらなきゃ飯にあり付けそうにない。
 地球人にしては力はありそうだ。
「これでいいですか?」
 彼女すらろくすっぽ抱きしめたことは無い。
 ましてや相手は男。
 未経験。
 スポーツですら抱き合うのは嫌いだったのに。
 外国人とならしたこともあるが。出張先のアメリカで気持ちした程度。
 これはハグの領域なんだろうか?
 あっちの人はココまで男同士で抱き合わない。
「もっと! もっとだ! 強く! 強く!」
 サイキは震えていた。
「相変わらず我儘だなぁ。これでどうだ!」
 抱きしめ返した。
「オラッ! ギブか!」
 これじゃプロレスか相撲だな。
 でも、
 妙に嬉しくなり、涙が出てきた。
 心根が嬉しかった。
「ありがとう・・・」
 何に対してありがとうなのか。
 何がありがとうなのか、全くわからずに声に出ていた。
 サイトウも知らず泣いていた。
*
 日本・本拠点防衛圏内。
 超巨大な白い円錐。
 ハンガリー主力艦バルトーク。
 STG28をそのまま大きくしたような姿形をしている。
 本船は五人~十人で操舵するが、それそのものが極秘。
「協力に感謝する」
 オフラインに切り替わる。
「おかしいな」
「ああ。代理だったな」
「どう思う?」
「日本は本拠点機能を失っているかもな」
「まずいぞ、撤退するか?」
「いや、逆にチャンスかもしれない。大きな貸しができる」
「本拠点機能を失うほど攻撃されているとなれば話は別だぞ」
「でも、おかしくない? この数ヶ月間、敵は欠片すら姿を見せないのに」
「ロシアみたいに内乱か?」
「ここは日本だぞ」
「いや、このところ日本は不安定だからね」
「日本で内乱なんて、逆立ちしても起きないよ。まともなデモすらロクに起きない国だ」
「そうか? まあ日本通のお前さんが言うんだ。そうかもしれないな」
「日本通というか、アニメ通の間違いなんじゃないか?」
「日本のアニメを見ると、日本人という人種がよくわかるんだよ」
「日本って変態の国だろ?」
「暴力とセックスの国って聞いたけど」
「わかる。俺の彼女なんかすっかり日本のアレにはまっちゃって参ったよ・・・」
「なに?」
「YAOIっての?」
「なんだそれ?」
「詳しくは言いたくない。別れようか考えちまう・・・」
「誤解なんだけど、その通りでもあり・・・」
「どこの国もゴシップばかりに目がいく。俺は何も言いたくない」
「じゃあ、ずばり日本とは何だ?」
「萌の国だ」
「聞いた俺が間違っていたよ・・・」
「MOEとはどういう意味だ?」
「その説明をするには一時間は欲しい」
「私なら三分」
「変態の国の間違いだろ」
 船内を笑いが満たす。
「お遊びはその辺にして、目標は近い、確認しよう。。シューニャ・アサンガのパートナーの話だと彼女はSTGIに搭乗しているらしい。新しいSTGIの存在は日本・本拠点の本部では未報告らしく、日本のマザー、俺たちで言うアーニャから搭乗員シューニャ・アサンガを殺処分するよう通達があり、亡命したいそうだ」
「にわかには信じがたいな」
「トラップじゃないか?」
「先の大戦では我々も助けられた。もし彼らが護衛についてくれなかったら無事では済まなかっただろう」
「勇猛果敢とはあのことだったね・・・日本のアニメみたいだった」
「さすがハラキリの国だよ。自らの命を顧みない」
「色々誤解があるようだが俺は突っ込まないぞ」
「勘違いも甚だしいね」
「でも隊長は変わったのよね?」
「ああ。しかもこの隊長は穏健派のようだ」
「月型の敵を単騎で鎮めたと噂だぞ」
「なんだそれ? 初耳だな」
「まさか・・・その女ってアーニャからビリオンダラー並の飛び抜けた戦果を与えられた搭乗員か!」
「なんだ今更。言っても映像や記録がロクにないから専らフェイクだという噂だが」
「アーニャを信じていいだろう」
「そうだな。だが、単騎というのは信じ難い」
「言えてる。万に一つ月型がいたにしても、バルトークですら手に余る」
「かもしれない」
「公式では日本・本拠点のISHIGRO大連隊長率いる本部の部隊が落としたことになっている。最新だ」
「それこそフェイク。当時は日本の非公式本部を名乗っていた”猫いらず”が落としたと発表していた。俺はリアルタイムにそれを読んだよ。戻ればSSもある」
「公式を書き換えたのか?」
「それ間違い無さそう。今、調べてみたけどMR.ISHIGROは戦後世代よ。公式に出ている」
「随分と雑な偽装だな」
「他国のことは言えんがね」
「日本人は建前の国だから」
「ISHIGROが倒した方が信憑性があるからか」
「だろうね」
「アーニャのデータは改竄できなかったわけね」
「俺は日本の本部がそこまで優秀には思えないんだが」
「ちょっと待て、パイロットカードからするとシューニャとかいうプレイヤーは索敵や支援偏重のオールラウンダーだぞ。平凡、絵にかいたような平凡な戦績。それフェイクだよ。何かの間違いだ」
「やっぱりISHIGROか」
「だからそれは無いって」
「じゃあ、猫いらず?とかいう部隊」
「それはもっと無い。もう解隊しているしな。戦後かなり調べたが酷い部隊だったようだぞ。だから印象に残っている。彼らは主要な前線にすらロクに居なかった。戦績も思わしくない。ある意味では日本らしいけど寄らば大樹の烏合の衆。絵に描いたような無能集団だよ」
「日本贔屓の割に厳しいな」
「贔屓じゃないさ。それに、好きだからこそだよ・・・残念でならんのだ」
「わかる」
「でも、月ですよ? どうやってって話」
「それだな・・・」
「そこはやっぱりMr.SAITOじゃないのか?」
「その頃はアカウントを削除されている」
「んー・・・何度聞いても信じ難い。隠しているだけじゃないか?」
「なぜ?」
「STGIは黙っていればバレないから」
「今更か?」
「アカウントが削除されているのにどうやって乗るんだ」
「確認したのか?」
「ああ、間違いない。マルギト、どうだ?」
「うん、削除されている。もう閲覧すら出来ないよ。彼は完全に抹消された」
「信じられない・・・何があったんだ?」
「日本のすることは昔も今も意味不明だから」
「恐らく本部の意向に逆らったんだろう」
「仮にそうだとして、それがなんだ。信じ難い行為だ。あの英雄を」
「日本通には悪いが、愚かにしか思えない」
「お上の文化だからね。お上の言うことは総じて絶対なんだよ」
「お上とはなんだ? 貴族や王族のことか?」
「これを説明するには三時間欲しいな」
「唯一現存した STGIヒノカガビコノカミ を自ら捨てるとは信じられない」
「舌を噛みそうな船名だな」
「・・・日本人ならやるかもしれない。過去の戦争を見ても言えるだろ」
「でも、余りにも愚か過ぎる選択だぞ」
「なんて言えばいいか・・・そういうこと度々やるんだよあの国の連中は」
「全く理由になってない」
「第二次世界大戦でもあったろ」
「しかし日本はロシアを押し返した国だぞ。俺はどう転んでも支持するね。何をやっても不思議じゃない!」
「あの頃とは人間がまるで違うんだ。あの頃の日本人がすごかったんだよ」
「なんだよ、らしくないな」
「よし、丁度いい頃合いだ。速度落とせ」
「ビンゴ、反応あり。さすがゾルタン隊長」
「日本のアーニャが確認を依頼したポイントと概ね一致」
「大分流されているようだな」
「搭乗員パートナーが報告してきた3D分布と近似します」
「本当にSTGIというのは存在するのか・・・フェイクじゃなかったのか・・・」
「センサー類に一切反応が無い」
「噂は本当だったんだ・・・」
「こいつもアクティブ・ソナーだけが存在確認か?」
「わからない・・・やってみるか?」
「やめろ! 条約違反だぞ」
「冗談だって」
「STGI・・・これが本物・・・」
「モニターに出せるか?」
「少し待って」
 全員が固唾を飲んで待った。
「映ります」
「メインモニターへ」

 闇の中に浮かぶ瞬く白い光。
 漂流している STGIホムスビ がそこにいた。

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