STG/I:第八十六話:天岩戸


 ハンガーに引き篭もり三日が過ぎた。
 先程、その時を迎える。
 ビーナスのタイムリミット。
 言葉が浮かぶ。

(始まりはいつも静寂から。爆発的な衝撃を伴って事は動き出す)

 STGIのハンガーは静まり返っている。
 引き篭もり作戦はシューニャ自身が考えた。
 マザーの刺客に対抗する最も有効な方法に思えたからだ。
 この先のシナリオは考えていない。
 情報を整理する必要があったので、ある意味では幸いだったかもしれない。
 グリンから多すぎる情報を得ている。
 STGIのハンガーに戻ったのは、あの戦いの五日後。グリンの速度に合わせた。こんなにも速く動けるのかと驚く。真っ直ぐ帰っていればもっと速かっただろう。彼女は道中楽しそうで、まるでハイキングへ行く子供のようだった。二言目には、ヤレ何をしてくれ、アレをしてくれと注文が矢継ぎばや。途中、グリンの本体は私との契約の為に索敵へ向かう。後でグリンはログインすると言った。
 本拠点のハンガーに到着すると、シューニャに戻れないことが判明。STGIから降りられない。試行錯誤の日々。その間も色々あった。グリンに相談し、彼女の発言がヒントとなり帰還することが出来たわけだ。その方法とは、簡単に言えばコチラのものとアチラのものを同時に食べる。まるで親鳥無しには生きられない雛鳥の心境。

 この作戦は、抹殺対象がいないのだからマザーの司令は意味を成さないだろうという考えに基づく。他国に亡命したところでマザーのテリトリー内。いずれ暗殺されるだろう。また、STGI搭乗者は高度に政治的な立場だ。利用され兼ねない。それは嫌だった。
 勤め人時代にも散々嫌な思いをした。自らの行いとは無関係に駒にされ翻弄され、溝掃除をさせられるようなもの。なんとも言えない不愉快さ。そうしたことが好きな者もいないではない。自ら人形になりたい輩。

 この作戦はビーナスの”時間稼ぎ”という視点が発想を与えてくれた。引き篭もったところで解決にならないことは百も承知。ただ大いなる時間稼ぎにはなる。亡命よりずっと安全だろう。思ったより支持はされなかったが。

 本案に対しミリオタさんは反対。
 静は沈黙し、事実上の棄権。
 ビーナスは賛成。
 ミリオタさんの言うようにエイジやケシャを待っても良かったが時間が惜しかった。
 事が明るみになることでチャンスを逃す気がする。

 ミリオタさんの反対理由は直ぐにわかった。
 ビーナスを見捨てることになるからのようだ。
 あれほどビーナスを毛嫌いしていた彼に何があったのか。
 私が居ない間に何か決定的なことがあったに違いない。
 人間とはつくづくわからないものである。

 静は棄権とする。
 彼女は答えなかった。答えられなかったと言っていい。
 葛藤の末で表出された得も言われぬ表情が今もハッキリと思い出される。
 ビーナスを助けて欲しいという意図が感じられた。
 シューニャの案は自身にとって最もリスクが低そうな提案だったが、同時にビーナスの確実なる死を意味する。静はアンドロイドにして人間性にも似た親愛と、命令の優先度の間に揺れた結果、言葉を発することが出来なくなっていた。
 口を開けてはブルブルと震え、閉じてはまた開き、ビーナスの「正しい答えを言って」と、暗に彼女自身が死ぬことより「マスターの安全を第一にして欲しい」というメッセージを投げかけられたにも関わらず、彼女は言葉を失った。
 「ビーナスを助けて」と静が言うことは、最も守るべき対象を危険に晒すことを意味する。自己の存在価値を否定することにもなる。至上命題と仁義の狭間の揺れた失語。シューニャは驚きをもって受け止める。

 静の言葉はミリオタさんが代弁した。

「シューニャ、ビーナスをどうにか出来んか? もう少し皆で考えようや!」
「ミリオタ様、私は大丈夫ですから」
「大丈夫じゃねーだろ! お前は黙ってろ!」
「大丈夫です」
「駄目だ! シューニャは勿論、静にはお前が必要なんだ! 俺だってお前がいないと困る。誰が俺の暴走を止めるんだ。だろ? シューニャは俺に甘い。お前が何時も俺に反対してバランスが取れるんだよ。お前はシューニャの代弁者なんだ。必要なんだよ! 絶対に!」

 彼の発言に驚くと同時に自らがビーナスのことを失念していたことに気付かされる。彼女は当然「死」を選ぶだろうし、それは仕方がないことだと何処かで思っていた自分がいる。誰しも生きる上での命題がある。その命題の為には死をも厭わない。それは自分の中ではどこか当たり前に思えた。
 二人の思いが、考えてもみなかった賭けを選ばせる。

 STGIのハンガーに彼女を置くというもの。

 ビーナスは最後まで反対。
 当然だ。
 暗殺者とターゲットを二人きりで居させるという提案は、鴨に自ら鍋に入れというようなものだ。
 パートナーに自殺というものは無い。ビーナスはミリオタのアンブレイカブルに手をかけ、今直ぐ自分を撃つように催促すらした。私がそうしたことを本気でやりかねない人間と判定したのだろう。
 恐らく彼女は人間のような感傷的な理由ではなく、リスクを避けたかったに過ぎないだろう。自らが生きる最大最高の目的に忠実に行動したのだ。だからこそシューニャは失念していた。それこそが幸福であると思っていた節があるからだ。自分が酷く冷たい人間に思えた。

 勝算は勿論あった。

 嘗てプログラマーだったからかもしれない。指示には全て時間が大きく関係している。コレの次はコレ、そして分岐してコレ。上から下へ時間通りに流れるのがプログラム。矛盾は致命的なトラブルへと誘うことがある。クラッシュで済めばまだ良い。
 致命的な矛盾による強制終了や再起動を防ぐため、回避プログラムとして「命令の無視」を埋め込む場合は多々ある。最悪の事態を避けるための予防装置のようなもの。マザーなら当然されているだろうと思った。高度なプログラムでそれが無いのは考えにくい。

 指令の時間が過ぎれば意味を無くす。

 STGIの中でマザーの力は及ばないと体感が告げている。同時に、グリンの情報からも権限の上下関係においてSTGIはマザーの上に思えた。STGIの中ではマザーの命令によって何者でもあろうと「死」を迎えることは致命的な関係悪化を意味する可能性がある。これはビーナスの亡命発言で思いついた部分でもある。しばしば政治的立場の者が他国へ亡命する理由もそこにある。別な権力による庇護。

 カウントダウンが零になった時、彼女は言った。

「命令が・・・キャンセルになりました」

 シューニャはビーナスを優しく抱きしめる。
 彼女の頭を撫ぜ、自らの娘のように親愛を傾けている自分を一方で確認する。
 人間ではない彼女に。

 曰く、カウントダウンは零のまま停止すると命令がキャンセル。ビーナスの所見では無意味になったナノマシンは融解したと思われると言った。ナノマシンは特別な場合を除き、そう長く活動出来るものでもないとのことだ。合点がいく。

 STGIのテリトリーでマザーの命令を執行することはマザーらにとって違法行為の可能性を感じる。日本における横田空域みたいに、自分のテリトリーでありながらどうにも出来ない場所。それがSTGIのハンガーなのかもしれない。奇しくもSTGIのテリトリー内が治外法権であることが確認された。

*

 翌日。帰還してから四日目。

 ビーナスは生存。胸を撫で下ろす。
 静にも異常は見られないとのこと。
 今は、ビーナス、ミリオタさん、エイジ、ケシャに代わる代わる入室してもらう。
 STGIのハンガーからは外の様子がわからない。
 これは誤算だった。
 
 許可をすれば一人の生体は入室出来る。

 ホログラムのビーナスは何故か入室可能だが、静のようなアンドロイドはSTGIのハンガーに入れない。これは体感で理解していた。今日、静やミリオタさんの要望により改めて挑戦してみる。やはり駄目だった。静がこの世の終わりのような顔をしたことが思い出される。
 あれほど仲違いしていたビーナスと静がまるで親友のようなのは気のせいか? 二人の間にも何かあったのだろう。それよりも何時からミリオタさんと三人は仲良くなったんだ? なんともわからない。ビーナスと静はまだしも、ミリオタさんが加わるとなるとミステリーだ。
 可愛さ余って憎さ百倍という言葉があるが、その逆もある。今度 聞いてみたいが、こうしたことは無自覚であることも多い。嫌いということは好きになる可能性があることを自身の体験でも言える。どのみち極端な選択なのだ。良い時は最高にいいが、悪い時は最悪に悪いことになる。いずれ仲違いする可能性も訪れるだろう。ガンジーの言葉からすると、その時に真の友情が試されるのだろう。

 外に出たビーナスを二人は喜びをもって迎えたが、静はこう言ったそうだ。

「平に、平に、ご容赦を、平に・・・」
 棄権したことを言いたいのだろう。そしてビーナスの提案を無視したと。隊長の命と友人の命を天秤にかけたこと。そうした事への謝罪なのだろう。ビーナスを入れた時、そうした様子を聞く。彼女は聞いてもいないのに静の為に必死に弁明した。理性的で知性的な女性を標榜した彼女が、必死に擁護する姿はなんとも愛らしかった。ただ彼女の偉さは屁理屈を言わなかった点にある。ココが人間と違う。これは我ながら反省した。元カノから

「屁理屈だよ!」と言われたものだ。

 静は人間がいかに苦労するか追体験しているのかもしれない。人間なら本心に従うのが結局は一番となるが。彼女らは我々の逆の道を歩んでいる気がする。人間の感情を模倣した結果、判断において彼女らの正確性や迅速性を確実に失わせている。これはこれで良し悪しだ。自分で判断するロボットが有益に働く場合とそうでない場合がある。

 グリンが私を襲った時、本来なら真っ先に立ち向かうべき静が動かなかったことはビーナスも疑問だったようだ。静に問うたようだが、「自分でもわからないのです。ただ、酷くショックで・・・悲しくて・・・何か大切なものが失われたような」と言ったそうだ。そう言う静に、ビーナスは何かわかり得たようで、抱きしめながら「可愛そうな静。アレは人工呼吸のようなものだから」と言ったと聞く。静は意味がわからないようだったとミリオタさんから聞いた。彼も「どういう意味だ?」と聞いてきたが。
 アンドロイドにもファースト・キスという概念があるのだろうか。いや、恐らく人間の価値基準を模倣しただけなのだろう。私としてはノーカンだ。あれは餌付けのようなものだし。その理由を言ってなかったな。まあ、いいだろう。

 自らが中高生の時、今から思い返せば実に些末なことでこの世の終わりのように悩んでいたことが思い出される。だが当人にとっては大問題なのだ。笑うことは出来ない。過ぎたからこそ言える。私も彼女に裏切られた時、三日ほど眠れなかったものである。自分でもわからなかった。ただただ苦しかった。今にして思えば彼女の側からすれば無理からぬ部分も理解出来る。それは過ぎたからこそ思えるものだ。周りの者たちは彼女が立ち直るのを見守るしか出来ないのだ。せいぜい気晴らしに連れ出すぐらいのものか。

 彼女らはある意味ではマザーという絶対的存在から自由を得たと言えるかもしれない。ただ、多様性を扱えない者にとって自由を得ることは果たして益に働くのだろうか。アンドロイドや人造人間はどうだろうか。人間より上手にやりそうな気がするが。自由を扱えない人間にとって「なんでもしていい」は何をするか考える必要性と、選択した結果に責任を背負うことを意味する。事実、彼女の苦しんでいる様は必ずしも幸福とは言えないようにも思える。その一方で奥底から声が聞こえる。

(自由がいいに決まってる)

 しないのと、出来ないのでは決定的に違う。
 出来ないのは選択肢が無い。
 ただし覚悟が無いから皆誰しも相手に責任を押し付けたがる。
 自由の覚悟が出来てないのだろう。

(これもまるっきりブーメランだな・・・覚悟が無い、か)

 ビーナスは私の様子を撮影していき、次に来るときは静の様子を写して入ってくる。「笑顔をお願いしまーす」と彼女。彼女は最初に比べるとまるで別人のようだ。私に最適化されるはずの搭乗員パートナーだが、今はそうは思えない。私以外の静やミリオタさん、エイジやケシャ、様々な者たちの影響を受け最適化されつつある気がする。そうだ、ブラックナイト隊でのビーナスに。でも、それはどこか嬉しく思えた。娘や教え子が一員になれた気がして。

(そっか・・・それそのものが俺の好みで最適化されている・・・)

 恐ろしいものだ。だが誰か一人のためだけの存在なんて重苦しく鬱陶しいだけ。人間もこれほど柔軟に変化出来ればいいのだが。今日なんかビーナスは「静が喜ぶようなことを言って下さい」と注文をつけた。意地悪して「例えば?」と聞くと、「可愛いよとか、綺麗だよとか」と、まるで地球人の女性のようなことを要求する。
 ビーナスはさながら恋のキューピッドのつもりだろうか。

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