STG/I:第百三十六話:宰相

 


「解りました。後をお願いします」

 頭では返事していた。
 でも、声に出ていない。
 言ったはずなのに。

「君は出来るよ」

 シューニャの笑みが見える。
 無意識の抗いの原因。

(嘘つき)

 笑っている。
 初めて部隊の食堂で一緒に食べた時の顔。
 何時も笑っている印象だった。

(皆と同じように僕を嘲笑っていたんだ)

 凛とした表情。
 フェイクムーンの時の顔。
 何かを沢山抱えているようだった。
 思い返すと、笑っていない時もあった。

(僕を騙している)

 疲れた表情。
 皆が勝利に湧いていた時に見せた一瞬の表情。
 どうしてあんな顔をするのか判らなかった。
 勝ったのに。
 印象に残っている。

「君は出来るよ。大丈夫」

 シューニャの声が自然と湧き上がって来る。
 自信と決意、何かに満たされた声。
 あれは僕を代理に任命した時の顔。

(でもアバターの顔・・・嘘の顔だ・・・)

「はよせー」

 老侍の苛立ちが響いた。
 顔つきがさっきまでと違う。
 その声色に、この場にいる大多数が緊張する。
 彼の声は動物としての本能が強制的に呼び起こされる。
 音声合成じゃない。
 ノイズキャンセル等されているがリアルボイス設定だろう。
 穏やかに聞こえるのに、底知れない恐怖を感じる。
 イシグロは何か記憶を探るような顔で見ている。
 ミリオタはショックから立ち直れないといった風情。
 マッスル長男は腰を落とし身構えた。
 次男、三男にも指示をしている。
 暁の侍、武者小路は腕を固く組む。
 右手には知らず相撲の行司が持っているような団扇のようなもの、軍配を手にしていた。
 何かが始まろうとしている。

 嫌だ・・・。
 もう嫌だ・・・。
 もう、何もかも・・・。
 自分の人生すら身に余るのに・・・。
 どうして、こんな僕が、単なる子供が・・・。
 間違っている。

「おしっこもらしちゃったんでちゅか?」

 老侍が邪悪な笑みを浮かべ言った。

 怖い。
 この人は、今までで誰よりも怖い・・・。
 助けて・・・誰か・・・。
 シューニャさん!
 ミリオタさん!
 怖くて声が出ない。

「聞いてんのか?」

 ビクリとする。

「沈黙は是と解釈する。いいな?」

 嫌だ・・・何もかも・・・。
 そんなに欲しければくれてやればいいじゃないか。
 元の負け犬の暮らしが待っているだけ。
 何も変わらない。
 もういい、もう全部嫌だ。
 終わりにしよう。

「私はね、言葉は信じない。何時も行動だけを見ている」

 シューニャさん・・・。

「君は才能があるよエイジ。自信をもって言える」

 シューニャ隊長・・・。

「大丈夫。力になるから。任命責任があるからね」

 嘘つき!
 そうだ、全部嘘だったんだ!

「私は見捨てたことが無い。嫌なんだよね。投げ出すのが」

(今、居ないじゃないか! 嘘つきだ!)

「僕は逃げてばかりです・・・」
「逃げてもいいじゃない。勝つためなら」
「・・・逃げてるから負けじゃないですか?」
「いや、勝つために逃げることは間々あるよ」
「でも、逃げてますよね?」
「君の言っているのは短期的な勝ち負けの話でしょ。最後に勝てばいいんだよ」
「最後?」
「そう。最後に勝ってることが大切に思うね」
「最後って? 何時ですか?」
「端的に言うと死ぬときかな」
「・・・それって負け惜しみじゃ・・・」
「いや、冗談みたいだけど、そうなんだよ。最後を迎えるまでは経過だよ。通過点だ。真の勝ち負けは終わらないと判らない。ピンポイントで勝っているように見えても、振り返ってみたら総合的に負けていたことは往々にしてある。良い意味でも悪い意味でも大逆転はある。外からは常勝だったように見えていても、それは単なる印象で、実は完璧な負けというのもある。本人しかわらない事は多いからね。特に逃げながら戦うと、勝ったようには見えないから。周囲から羨ましがられているのに、本人は苦悩と苦痛の中で亡くなったり。沢山戦えば短期的な負けは多くなる。歴史にも例があるでしょ。振り返らないと判らないことは多い」
「逃げてもいい・・・」
「勝つためならね。でも、逃げる為に逃げるのは辛いよ」
「えっ? 同じですよね。何が違うんですか?」
「全く違うよ。天と地ほどに。到達点の有無とか色々違う」
「え? わかんない・・・です」
「例えば君は自分を逃げていると言ったでしょ」
「はい・・・僕は、逃げてます・・・」
「逃げてないと思うよ」
「いえ、本人が言うんです。僕は逃げてます・・・ずっと」
「リアルで目を見れば一発なんだけどなあ。アバターでも、言動でわかるよ」
「目? 言動で・・・」
「目に出るからね。君は向き合っている目をしていると思うよ。それは魅力的な目だろうね」
「僕は自分の眼を見たことありますけど・・・負け犬の眼です」
「自分っていうのはフィルターがかかるからね。思い込みで見てしまう。過剰に上げたり、下げたりしてしまう。君は無意識に勝つ為のタイミングを見ているよね。そして我慢強い。虐める人間はそれが嫌いなんだろうな。支配出来ない君が、根を上げない君が怖いんだ。優れているから怖い。怖いから支配したい。本当に強い人はそもそも虐めないからね」
「強いから虐めるんじゃないですか?」
「本当に強ければ、盤石ならその必要は無い。学生時代の友人が言っていたよ。本当に強い人でね。気づいたら取り巻きが沢山出来ていて自由気ままってわけじゃいかなくなった。他校からも挑戦しに来るし。一人で居たいのに、普通で居たいのに、いさせてくれ無い。慕って傍に人が集まるから無視も出来ない。取り巻きが仕出かした面倒を処理しに行く。結果、大喧嘩。んで、強いから負けない。すると余計に人が集まる。敵も味方もね。気の毒だったよ。言われたんだ。『お前ぐらいだよ、普通に何もなく友達として喋ってくれるの』って。・・・元気かな・・・彼がいい目をしていたんだ・・・今でも思い出す。色々判った上で飲み込んでいる目だった・・・」
「少なくとも僕は違います・・・」
「訊いたよね。『自分を逃げていると思っているでしょ』って。『逃げてます』って言ったよね」
「はい・・・」
「つまり、現状を理解し受け入れている。認識している。全ては認識から始まる。弱い人は認識から逃げる。認識せず、明確な否すら認めず。逃げてる人に『逃げてるの?』って聞くと、逃げてるとは言わない。言っても冗談っぽくはぐらかす。認めたく無いからね。でも、聞いてない時は自分から『逃げてる』と言う。心に負担があるから。負担、ストレスから逃げる為に言う。聞いてもいないのに。・・・ミリオタさんとか・・・」
「えっ! それこそ嘘です。ミリオタさんは強いじゃないですか!・・・怖いし」
「違う。最近の彼は向き合おうと努力しているけどね。最初は違ったよ。皆が怖くて仕方がないって風だった。今は弱い自分と向き合おうとしている。それが大事なんだ。誰しもね。彼は逃げる為に逃げていたけど、逃げるのを止めようとしている。葛藤している。勇気ってのは難しくてね。認識があって、その上で敢えてやるから勇気なんだ。色々と捨ててることになっても。でも、バランスを見誤ると命を落とす。逃げたことが無い人は脆い。自分の弱さを知らないから。単に限界を超すような場所に居なかっただけに過ぎない。だから限界を超す場に来ると突然折れる。随分と見てきた・・・才能あるのに、もったいない。折れるまでは無敵の人だった。世間が狭かったんだろうね。逆に弱さを知っている人は強い。自分の程度というのを知っている人は強いよ。向き合う術をしっているから。無い袖は振れないって理解している。ゼロから始めることに抵抗が無い」
「・・・逃げ切れば、いいんじゃないですか・・・」
「逃げ切れないよ」
「何で言い切れるんですか」
「逃げているという自覚があるからね。自分の影に追われる」
「自分の影?」
「負い目だね。逃げている人は、常に自分の影に怯える。他人じゃ無いよ」
「自分・・・」
「バランスだよ。逃げては寄って、寄っては逃げて、自分の心身が壊れないように向かい合う。基本的に慎重に、時々大胆に。それだけ、でも難しい。君はもっと自分を俯瞰した方がいい。他人の評価は一旦横へ置いておいてね。他人ってのは実に適当なことを言うから。総体は見えていない。でも、局部を拡大視している分、そこは当たっている。だから無視すると損するよ。それを自分に活かせばいい。何より親身に向かい合ってくれる人の言葉は頭の片隅に残した方がいい。逃がしちゃ駄目だよ。早々そんな人は現れないから」
「・・・信じていいですか?」
「さあね。それは自分で見極めな。自分の人生に責任を持てるのは自分だけだよ。何事も話半分だよ。正解は自分の中にしか無いから。私の正解が君の正解とは限らない。だから人間は太古の昔から判り切ったことを今も繰り返し研究したりする。学問だね。何より口では幾らでも言えるからさ。だから私は行動しか見ていない。行動は正直だから」
「僕のことなんか誰も見てくれません・・・」
「見てるじゃない。私が。何より人は見ていないようで見ているよ」
「シューニャ隊長はともかく、僕のことなんて誰も見てませんよ・・・」
「見てるよ。他人が動き出すには切っ掛けが必要なんだ。それを無意識に待っている。動き出すのはパワーを使うからね。私みたいに軽く動ける人もいるけど。ほとんどは違う。でも、見てる。互いに影響し合っている。君は私と同じで抱え込み過ぎる。もっと周りを頼っていい。今はそう思う・・・」
「頼れる相手なんていません・・・」
「そういう時もある。でも、ゼロってことは無いはずだ。無人島に住んでいるわけじゃないから。まずは、さぼり上手になることだね。自分が壊れてしまえば意味が無い。余裕が無ければ何も受け入れられないよ。自分という箱がぎゅうぎゅうに詰まっていたら、他の何も入らないでしょ? どんな言葉も助けも気づかないよ。だから、勝つ為に一先ず逃げるというのは大事だよ。少なくとも今は私がいるから頼っていい。頼られるのは慣れているんだ」
「いいんですか・・・」
「既に頼っているでしょ?」
「そうですね。・・・ありがとうございます!」

 沈黙が流れた。

「じゃあ、委任ってことだな」

 老侍が大声で言った。

「嫌です」

 透き通るような声が遮る。
 エイジだ。
 委縮していたミリオタが驚いた顔で見ている。
 固唾を飲んで見守っていたイシグロも驚いている。
 二人とも信じられないといった風情。

「委任はしません。私が日本・本拠点の代表ですから」

 マッスル長男が満面の笑みを浮かべ、兄弟は互いに頷き合う。
 老侍の取り巻きが立ち上がった。
 マッスル三兄弟が素早く動くとエイジの一歩後ろで身構える。
 長男が長い息を吐く。
 肉食動物が獲物に襲いかかる直前といった様相。
 取り巻きの武装兵士達が一斉に立ち上がった。
 武者小路が腕を解くと、交流のある隊員達が慌ただしく動き出す。
 申し合わせたように彼らを囲うように動いていく。

「私は、宰相です。・・・この意味が解りますか?」

 エイジは震える声で言った。
 必ずしも余裕は無いようだ。

「貴方達のアカウントを即座に一時停止することも不可能ではありません」

 老侍が満面の笑みを浮かべる。

「勿論、理由も無くしません。・・・まずは、聞かせて下さい」

 老侍は両脇の二人を見た。
 刹那、赤備えの鎧武者、武者小路が軍配を上げた。
 作戦室の大扉が大解放、武者達が一斉になだれ込む。
 入口を塞ぐ。
 部隊「暁の侍」達だ。
 いや、武者達だけじゃない。
 後から次々と友好部隊が入室。
 武者小路が軍配を左右に振ると、それに合わせて規律正しく動く。
 合間に忍び装束の集団も見えた。黒葉佩衆だ。
 流れは完全に逆転した。
 態勢の変化、潮流の変化を捉えた大衆は、憎悪を膨らませ異端者達を見た。
 作戦室は一気に怒気が膨らむ。
 お互いの臨戦態勢が整った。
 老侍は余裕の笑みを宿している。
 そして、この場に相応しくなく豪快に笑った。

「思ったよりヤルじゃね~か! 引き篭もりの、糞餓鬼の分際で!」

 頭上に赤いペナルティーポイントが加算。
 誰も声を上げる者はいない。

「判った。面倒くせーが話し合おう。引き篭もりさんよ」
「エイジさんだ! 彼の名前はエイジさん! 間違えるな!」
 マッスル三男が吠える。
「あー? 最近耳が遠くてなぁ。引き篭もりさん? 合ってるじゃねーか」
「だから!」
 長男が制止する。
「構うな」
「でもっ!」 
 エイジはマッスル三男に向かって微笑む。
「ありがとう」と言った。そして、
「では、経緯を聞かせて下さい」


 宇宙のクラウドを通し一瞬何かと繋がった。
 エイジかもしれない。
 彼の記憶を通した自分が見えた。
 かなりマズイ心理状況だったが好転したようだ。
 その原因が私なんだろう。
 レバーを捻るようにマイナスからプラスに逆転した気がする。
 エイジ、君ならやれる。
 傍にいて上げられなくて御免な。
 お互い出来る最善を尽くそう。

 STGIの圧倒的万能感は相変わらず感動的だ。
 加えて宇宙というクラウドに繋がる全能感。
 何でも引き出せそうだが、危険でもある。
 今のエイジといい、ある意味で同じ方向を向くとき、繋がるんだな。
 見ているということは、見られていることを意味する。
 基本的に慎重に、時には大胆に。
 無謀と勇気は違う。
 この暴れ馬は地球人には荷が重すぎるんじゃないか。
 F1を仮免許で動かしているような不自由さだ。
 無駄が多すぎる。
 裏を返せば、乗りこなせれば大きな力になる。
 でもそんな才能があるとは思えない。
 やれるだけやるのみ、だな。

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