STG/I:第百三十四話:アース

 

 誰かが“境界越え”について本部に問い合わせた時エイジはようやく思い出した。
 この騒動はそこを端に発していたことを。
 義母の迅速な対応でSTGや主要な施設、装置は固定された。
 重力による衝撃の影響も即座にチェック。
 異常が無いことが確認。
 STG28に関しては本船コンピューターとパートナーによる詳細な検証も実施。
 それは感動的なほど見事なものだった。
 固定出来ない小道具や食品等の散乱、破損等はあったが、それらは分解措置によって一瞬で消される。
 まるであの衝撃が無かったようですらある。

 だが、問題は特殊アバターの搭乗員。
 不幸中の幸いだったのはプレイヤーの絶対数が少なかった点。
 特殊アバターでも筋肉質であったプレイヤーは自身を衝撃から守ることが出来た。
 でも筋肉質を嫌うプレイヤーは昨今少なくない。
 ましてや握力設定を重視する搭乗員はほとんどいない。
 被害に拍車をかけたのは標準設定が低い点だ。
 ほとんどのプレイヤーはデフォルト設定でメイクする。
 
 ミリオタは重要施設の目視巡回をマッスル三兄弟ら有志と共に実施している。
 この期に及んでも機械を信じられないのだろう。
 寧ろ今回の件で決定的となった部分がある。
 義母からすれば地球側の指示が無かった為という弁だが彼には通用しない。
 ほとんどをオートメーション化することは可能だ。
 問題は「ほとんど」とはどこまでを指すかである。
 結局それを詰める必要がある。
 宇宙人と地球人の条約に関わる部分だが、それは最早複雑怪奇でブラックボックスに近い扱いになっている。
 その解明に乗り出した搭乗員の一人がシューニャだった。
 また、仮に全てを任せることが出来たとしても、地球人がそれを指示することは無いだろう。
 それは事実上の主権放棄を意味してしまう。

 立て続けに起こるトラブル。
 境界越えの可能性すら考えられなかった自分。
 無理からぬ事だったが、エイジは顔をくしゃくしゃに頭を抱える。
 パートナーのシャドウが妖精のように小さなホログラムで目の前に現れると言った。
「シューニャ様はこういう時『出来ることを確実に』と言っております」
 エイジは真っ黒な身体に水色の瞳をもった小さなシャドウを見つめると頷く。
「そうだね・・・『出来ることしか出来ない』だったよね。ありがとう!」
 悠長にメモに目を通している時間が無くなってきた為、エイジはシャドウにシューニャ発言集を記憶させ、該当しそうなシチュエーションで言って欲しいと伝えていた。
 これまでそうしなかったのは恥ずかしさからだ。
 もし万が一でも漏れて、誰かにバレたらと思うと出来なかった。

 問い合わせると、義母は正確な座標が不明を前提に言った。

「約三万キロメートル手前で静止、推定された元の位置まで航行を続けております」
 間に合っていたのだ。
 指示通り調整されていた。
 もし気づくのが遅かったら。
 もし指示を誤っていたら。
 事の重大さを知る者だけが各々肝を冷やす。
 特にエイジは生まれて初めてある種の恐怖を感じる。
 指示をした者だけしか判りえない恐怖。
 責任だ。
 こんな重責にシューニャが耐えていたんだとエイジは震えたが、同時に誇らしくも感じた。

 作戦室からは安堵の声が漏れると同時に、「なんだ余裕じゃねーかよ」とか「脅かさないでよー」といった声が幾つも上がる。
 でも、事情に多少なりとも明るいと思しき隊員の一人が言った。
「宇宙規模なら目と鼻の先じゃないかな・・・」
「マジ?」近くの美少女型アバターが訊いた。
 知人では無いようで、少し躊躇いがちに彼は言った。
「光なら一秒で約三十万キロメートル飛びます。それを考えると・・・」
 チラチラと彼女を見ながら恥ずかしそうに答える。
 彼の言う通りだった。
「ゲッ! 怖っ!!」
 驚きの表情を見せ、小さき声を上げる。

 安心したのか、

 一つの部隊長が自身の隊の安否確認も兼ね戻る許可をエイジに求める。
 許可すると足早に作戦室を出ていく。
 驚いたのは、それを見て他の部隊員が確認することもなく蜘蛛の子を散らすように出て行った点だ。
 エイジからしたら想定外の行動。
 こうした行動がここ暫く混乱の要因を生んでいる。
 許可を出したのは彼に対してであって全員ではない。
「いい大人達がそんなことも判らないのか」と憤りが沸いたが、タイミングを逸してしまい、止めることなく、黙って見送る。
 これらはミリオタのストレスの原因でもあった。
 浮上する喪失感。
 同時に自らの統率能力の無さ。
 意思の弱さ。
 無力感に苛まれる。
 疲れている自分に気づかされ、疲労感を増す。
 シャドウが出るまでもなくシューニャの言葉が過った。
「君は向いていると思うよ」
「誰だって最初は素人だから」
 芋づる式に記憶が掘り起こされる。
「私は君が天才だとは言わない。でも、間違いなく才能がある。全体をよく見ているし、ある種の瞬発的判断力もある。私が指揮していた時ブツブツ言ってたでしょ。聞こえてたよ」
 脳裏のシューニャが笑い、思うわず微笑んでしまう。
「世の中は天才とそれ以外で単純に分け割れられるものでも無いと私は考えている。何より圧倒的大多数は凡人だ。言い換えると、凡人の質によって社会の質は成り立っていると言っていい。良い悪いじゃなくてね。それに皆天才だったら、それはつまり全員凡人ってことになっちゃうでしょ? 天才には天才の、凡人には凡人にしか出来ないことがある。天才を一人リアルで身近に知っているけど、肩の荷はとても重いよ。私だったら到底耐えきれないね。でも本人は平気な顔をしている。そんな天才だって欠けている部分が多い。裏を返すと皆必ず何か才能を持っていて、同時に何かが欠けている。天才も含め、足りない力をお互い補い合えばいいと思うんだ。活躍するフィールドが違うんだよ。お互い様なんだ。聞いてよ、その天才なんか直ぐ人に頼むんだよ。自分でやらずに。『助けて!』『手伝って!』『ありがとう!』それでいい。・・・ココへ来て私は痛感したよ。・・・だからエイジ、私を助けて」
 エイジは知らず目に涙を溜めていた。
 そして力強く立ち上がり声を上げる。
「誰か、手を、知恵を! 僕に貸して下さい!」
 彼らしからぬ必死な声に残った者達が手を止め、足を止めた。
 一部の者達は侮蔑的視線を向けたが、彼は自分に共鳴してくれそうな者だけを見た。
 視線に誘われ、幾人かが集まっていく。
 中にはフレンドに声をかける者達も。

 遠巻きに眺める集団に、一つの疑問を抱く者達がいた。
 エイジ達ほど必死になれず、一方、憎しみを抱くほど興味も無い。
 来て間が無いか、惰性で続け、何れにも肩入り出来ないプレイヤー。
 それ故に気づいた。
「もしマザーが復帰し、正確な位置が判明していた場合、実はエリア28を越えていたとしたらどうなるのだろうか?」という視点。
 マザーを多少なりとも知る者なら簡単な問い。
「本拠点は融解されるだろう」である。
 彼らは声にすること無く、惰性な作業を続けた。


 混乱から脱しつつあるタイミング。
 ようやく仕切り直そうかという時。
 嵐はやって来る。

「お~お~凄いな! ゲームも遂にここまで来たかっ! 長生きするもんだな!」

 彼に対する作戦メンバーの第一印象は「声がでかい」である。
 そして「違和感」だ。
 
 皺が多く、浅黒い顔。
 老齢の設定なのだろう。
 身体は瘦せているが筋肉質で、筋張った印象。
 身長は百五十センチ程度で、丁度、昔の日本人を彷彿とさせる。
 目は肉食動物のように大きく圧が強い。
 通常の表情では目を閉じる設定のようだ。
 それが開いた時の目の印象を一層強くした。
 野武士のような髷、伸び散らかした口髭と顎髭。
 薄汚れたような和装。
 何故か迷彩カラーだ。
 加えてダメージ仕様と何気に凝っている。
 皆はこれまでの経験から、こうした特殊な外観のアバターが、本当に協力的だったり、心から友好的だったことは稀な気がした。
 ここまで凝っていながら、どうしてこのような外観をメイクしたのか。
 それが違和感の正体。

 大きいのは声だけでは無い。
 態度もだった。
 第一声からしてアレである。
 ここは他ならぬ本拠点の作戦指令室。
 誰しも無意識に気が引き締まる場所のはず。
 彼の声にはそうしたものが無かった。
 作戦指令室の主達を空気のように無視し、歴戦の勇者のように振舞っている。

 奇妙なのは老侍に控える両脇のプレイヤーもだ。
 長身で美人のアバターと、彼女よりずっと背の低い美形のアバターが付き添っている。
 従者にしては外観に統一感が無い。
 二人は和装ですら無い。
 合わせる気がゼロ。

 左の美人は長身で、アバターはSF的かつ露出度が高い。
 ほとんど下着同然の恰好に機能性を無視した意味不明な突起物が彼方此方についてる。
 先端のファッションショーで見るようなデザインと言えば話が早い。
 ある意味では最もゲームらしい出で立ちではある。
 露出は恐らく限界設定だろう。
 こうしたアバターは他のプレイヤーによる苦情が問題だ。
 ハラスメントやヘイト値に影響が出るのだが、ペナルティポイント一定量貯まると修正を要請される。
 それを避け、今ではココまで露出が激しいのは珍しい。
 新人がやりがちだが、今はキャラメイク時にも警告が出る。

 右の美男子の違和感も凄い。
 今風の小顔でシャープな顔立ち。
 アバターは自分の普段着を模しているのだろうか?
 普段着にしても珍しい。
 ややラフなサイズの白い半袖Tシャツに、タイトめの白いジーンズ。
 ベルトはしておらず、シャツは出している。
 シャツの丈は短いわけでは無いが、大きめだからか、動くと臍がチラリと見えた。
 ジーンズがローライズだからか。
 アクセサリーは付けていない。
 顔を見ると、目が大きく、まつ毛がエクステしたように長い。
 吸い込まれるような美形で、パッと見で女性と見間違えても不思議じゃない。
 肉体も女性のように滑らかであり、柔らかい筋肉が垣間見える。
 ただし性別の違いはパイロットカードで一発だ。

 二人は三歩下がった位置に立ち、頭を垂れ、目線を下にしている。

 更に驚かせたのは背後の者達。
 三十人はいる。
 全員がデフォルトにある人気アバター、軽装型宇宙戦闘服。
 しかもフルフェイスを装備したパターン。顔が見えない。
 迷彩柄で統一している。
 このアバターはデザインの良さは元より、外観オプションが豊富なのが人気。
 だが、個々の違いを見出だせない。
 恐らく同じ設定なのだろう。
 身長や身体の線、体格差から男女混合とわかる。
 体格は恐らくデフォルト設定だろう。
 彼らはまるで軍隊のように見えた。
 従者かパートナーであるかのように付き従っている。

(軍隊じゃあるまいし・・・)

 まさに居合わせた者が思った。
 パートナーではなくプレイヤーではあるようだ。
 名前の表示がプレイヤーのそれだ。
 沈黙と共にあるが、はち切れんばかりの興奮と熱気が伝わってくる。

 暁の侍から本部付になった武者小路は訓練されたものを感じていた。

 ステータスから新規プレイヤーであることは判る。
 それが却って疑問だ。
 ログインしたてのプレイヤーが本部の作戦指令室に入室することは普通あり得ない。
 そういう発想にならないし、そもそも入れない。

(いや・・・出来る方法があったな・・・)

 武者小路は新規プレイヤーでも可能であることに気づいた。
 入隊したのが今のブラックナイト隊なら可能だ。
 現在自動承認設定になっている。
 一定の案件に抵触していない限り即刻入隊が受理される。
 この案件が新人には該当しないものばかりで、新人にとっては事実上のフリー。
 その上、筆頭部隊である為に作戦室へ特別な入室許可が必要ない。
 他の部隊なら本部委員会でも一部の者しか許されない。
 恐らくゴタゴタで設定をし忘れたのだろう。
 知らない可能性もある。
 後で指摘せねば。
 現役だった本部委員はほぼ居ないし、皆それどころではない。
 本来であれば筆頭部隊でも新人を作戦指令室には入れないものだ。

 イシグロが何かを察したのか慌てて入室して来る。

 だが、ほとんどイシグロを見る者はいなかった。
 皆がこの異様な集団に心を奪われている。
 多くの者達にとって、この集団に何ら心当たりは無い。
 だから呆然と突っ立っている。
 どうしていいか判らない。
 ニュースをよく読む者は「テロ」を真っ先に想起し緊張感に包まれている。
 歴史好きは「内乱」を想起し、隠密に部隊員に連絡をとっている。
 武者小路もその一人。
 いずれも異常事態過ぎてどうすればいいか判らないでいた。
 結果、誰も動かず、誰も声を発しない。
 これが海外の拠点であったのなら、また違った反応を示しただろう。

 イシグロは迷わず老侍のパイロットカードを開き階層を下りると行動履歴を読む。

 本部委員で上位の役職を割り当てられている者は特権として当該拠点のプレイヤーの行動履歴を見る事が出来る。
 本部委員にスカウトする為に必要な行為だからだが、このメンツの中では、イシグロを始めとした一部の者しか出来ることを知らない。ただし、記録は残る。
 そして、権利を有するものがスカウトを目的に見ることは稀だ。
 ほとんどの場合、嫉妬、足の引っ張り合いが目的で見ている。

 行動履歴は履歴書以上に雄弁に語る。
 キャラメイクをして早々にブラックナイト隊に申請とある。
 部隊検索で「ブラックナイト」と直接打ち込んだようだ。
 完全な決め打ち。
 遡ると、彼らはマイルームにすら行って無い。
 ロビーに顕現すると、全員が揃うのを待って作戦室に直行したようだ。

(どうしてブラックナイトの名を知っている?)

 奇妙な点に気づいた。
 先陣を切る老侍は、ログインして幾らも経過していないにも関わらずペナルティ制限にかかりそうな勢い。
 性的・暴力的な発言や行動、・ルール無視等で自動的にペナルティポイントは加算される。
 指示上止む終えない場合があることから、隊長や副隊長には一定の緩和案件が設けられており、容量も大きい。
 本部なら尚更である。

 それでも昨今、このペナルティ制限が厳しくなっていた。
 特にハラスメントに対するペナルティは重くなりつつある。
 嘗ては貯めこんで一気に放出するプレイヤーもいたが、恣意的なコントロールと判断された場合、次は更に重くなる。そうなるとペナルティが重くなり容量も減る。
 最終的には行動の制限や発言権の制限を受け、アカウントの凍結処分が下される。一発アウトもあり得る。

 老侍が動いた。

 ようやく人がいることに気づいたのか、静かかつ、滑らかな動きで、射るような目を周囲の者達に向ける。
 その動きは、まるで歌舞伎の見栄を彷彿とさせ、その場にいる誰しもが目があったと感じた。
 実際はほんの一瞬。
 それだけ十分な迫力がある。
 そして叫ぶ。

「シューニャはいるかっ! アースが来たぞ!」


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